田んぼとドジョウ〔4979〕2016/12/02
2016年12月2日(金)晴れ
最近、こんな、真っ暗い写真ばっかし。この季節、出勤途上に写真を撮ると、こんなことになってしまいます。ご容赦ください。
この写真は、いつもの野市、上岡。向こうに見える小山が上岡山。八幡様が鎮座まします上岡山。その向こうにオリオン座が見えています。
手前は、稲刈りがすんだ田んぼ。ここでは毎年二毛作が行われ、初夏には麦、そして奥手に米。なので、ここの稲刈り、県下でも一番遅い部類に入るんではないか、と思われます。11月も後半になってから、稲刈りしておりました。
高知は降水量も多くて日照時間も長い。ので、二期作もできるような恵まれた土地。うまいかまずいか、ということは別にして、稲作に適した土地と言えましょう。
水田での稲作。これは、アジアの、湿潤な気候によって可能となった、大量の人口を支える農耕と言えましょう。陸稲、焼畑などに比して、その生産性は段違いに高い。水田の人口扶養力は、焼畑の10倍である、という話もあるくらい。
よく考えてみると、水田、不思議ですよね。水を張る。根っこは、常に水中。こんな環境でわざわざ育てる、その意味は。
植物にとって、基本的に、酸性土壌は敵だ。土壌が酸性化すると、様々な栄養成分も摂取できなくなる。そこで、古来、農耕では、土壌をアルカリ性にする様々な工夫が行われてきた訳だ。焼畑のように。
水田の場合。水を張ると、その下の土壌は酸素欠乏状態になり、土の中の酸化鉄が溶け始める。その鉄が土を青くするので、田んぼの土は青くなってくる。酸性土壌は還元されていき、中性に。すると、酸化状態では溶けなかったリンが水中に溶け出し、稲の根っこから養分として吸収されるようになる。この仕組みが、酸性土壌を克服し、大量人口維持農業を可能としたのでありました。誰が考えたのか知りませんが。
ところで、「5月の新刊」でもご紹介した「大地の五億年」によりますれば、日本で水田稲作が急速に広まったのは、そういった生産性の高さとともに、漁撈としてのメリットがあったのではないか、という説があるそうです。ドジョウだ。
水を張った水田にドジョウ。水田はドジョウ養殖場でもあった訳だ。ドジョウは、土壌を攪拌してくれるし、排泄物が貴重な肥料とも、なる。稲の生育にとっても、とても良い。大きくなったドジョウは、食べる。非常に栄養価の高いドジョウは、日本人にとって貴重な貴重な栄養源となった。
ドジョウだけではなくて、フナの養殖も、水を張った水田で行われる。ドジョウと同じ理屈で、一石三鳥。
ただし。
ドジョウの排泄物で生育は良くなるが、窒素が多いので、稲にタンパク質が多く含まれるようになり、美味しくは、ない。現在の味覚基準でいうと、まずい。美味しいとされるコシヒカリは、窒素過多になると倒れやすくなるくらいですきんね。
今の我々のおいしい食卓は、大自然の営みをかなり捻じ曲げた上に成り立っている、ということが言えましょう。
はるになれば しがこもとけて
どじょっこだの ふなっこだの
よるがあけたと おもうべな
この唄。田んぼにドジョウやフナがたくさん居た、ほんの数十年前までの風景。
最近大切にされるようになってきたキーワードに「エシカル」というのが、あります。
倫理的な、消費。環境負荷がかからない、消費。そういった意味で言うと、ドジョウの居る田んぼで育てたお米で、柳川鍋を食べるのは、エシカルかも知れない。
もちろん、鍋に使う卵は、アニマルウェルフェアに基づいた飼育をされた鶏の卵でなくてはなりません。