越知橋はポニートラス〔8268〕2025/12/04
2025年12月4日(木)晴れ!
今朝は、越知へ来てます。高岡郡越知町。安徳天皇でお馴染みの横倉山が睥睨する越知の街。横倉山の山容は独特で、極めて峻険な様相。なので、古くから修験道との関係が深いのも頷けます。山岳修行したくなるよね、あの山容なら。
佐川のナウマンカルストと鳥形山の間にあることからも、石灰岩が優勢な山であることがわかります。その石灰岩層からは、シルル紀の化石を多く産出。これだけ古い化石が出てくる地層は、高知でも珍しいと言えましょう。佐川地質館へ行くと、そんな貴重な化石を見ることができます。
写真は、仁淀川の支流、坂折川に架かる「越知橋」。橋の向こうの山の上。横倉山のてっぺんが少しだけ見えてますね。あの独特の山頂部は、遠くからでも「横倉山」とすぐにわかります。安徳天皇陵参考地。全国に広がる平家落人伝説の中でも有名な、横倉山の安徳天皇陵参考地。
さて、越知橋。この橋が架けられたのは昭和4年3月。旧松山街道が坂折川を渡るところに架けられました。橋は、この手前の、川を渡る部分に径間30mのトラス橋が3本。向こうの河原を渡っていく部分は鉄筋コンクリートの桁橋。広い川幅に架橋する為、当時の最新技術が使われたでしょうか。
このトラスはポニートラス。横桁がないのがポニートラスで、土讃線角茂谷駅の横、穴内川に架かる平和橋もそうやね。平和橋の架橋が昭和5年なので、この越知橋完成の翌年。その当時、こういった工法が広まっていたのでありましょう。
この銀色のトラスに貼り付けられた銘板には「昭和四年三月 株式會社野村組工作所架設」とあります。なるほど。土佐の交通王、野村茂久馬さんが創設した「野村組」に、こういった交通インフラを手掛ける工作部部門の会社があったんだ。高知県の交通を、バスや電車の運行だけではなく支えていた訳で、やはり野村茂久馬さんは偉大だ。
架橋から96年。今も現役で住民に使われ、愛されている橋。美しいよねー。幾度も書くけど、大正から昭和初期の土木建築って、本当に美しいものが多い。そういう思想って大切だ、と思う越知の朝。
