縁起、由来は彼方へ〔4941〕2016/10/25
2016年10月25日(火)薄曇り
幾度も幾度もご紹介してきた、潮江天満宮境内、本殿西側の大山祇神社。こないだも、その縁起、由来についての考証を行いました。
写真は、今朝、夜明け前の大山祇神社さん。右端の説明板には「由緒 勧請年月縁起沿革等未詳」と書かれている。御祭神は、もちろん大山祇命。おおやまずみのみこと。
今から12年前、2004年9月4日のにっこりに、当時の説明板が少し写っております。文字は判読できんおですが、古老の話で、手箱山から勧請してきたという言い伝えがある、てなことが書かれちょりました。それについての考証は、こないだ書いた通り。
さて。
左側は、磐座。いわくら。巨岩に注連縄を張った、磐座。神が降りてくるとされる岩が磐座でございます。この巨岩が磐座とされるようになったのは、いつ頃からのことなのか。これはもう、まったくの謎。
磐座は、古墳時代の信仰のかたちとして、日本に広まったとされます。岩そのものが、神である。神が降りてくる。その後、7世紀くらいになると社殿が建てられるようになり、徐々に磐座そのものを拝む風習は少なくなっていくも、今に至るまでその信仰は残っている。磐座。
で。
そこに巨岩があった。その巨岩がいつしか神が降りてくる岩、磐座として信仰されるようになった。その信仰の場所に、社殿などが建てられ、新たな神が祀られたりするように、なった。信仰の場所なので、場合によっては、お寺さんなども建てられることもあり、いつしか、磐座が大元であることは忘れ去られていった。
そんな歴史をたどった磐座もあったでしょう。
しかし、どうやら、後世になって、それらしい巨岩に注連縄が張られ、いつの間にか磐座として信仰されるようになったケースも多いにかありません。
誰かが、軽い気持ちで注連縄を張ったにせよ、少し時代が下ると、そのことは忘れられ、古代からの磐座である、という誤った言い伝えが始まる。そんなケースも多いと言います。
そう。
ここに鎮座まします大山祇神社さんも、その縁起、沿革がまったくわからない。僕の考察では、そんな、何百年も前のことではない。江戸時代末期か明治の初め頃、勧請されてきたのではないか、と、考える。百何十年か前のこと。それが正しいとするならば、早くも縁起未詳になるという世の中の流れは、とても速い。
そしてこの磐座も、大昔から磐座として信仰されていたのか、大山祇神社が勧請されてきた際に注連縄が張られ、磐座となったのかは、わからない。信仰の始まりというのは、後世に伝えられない場合も多いのか。
しかし年月が経過し、本当の成り立ちはともかく、紛れもない大切な神様として尊崇されてゆく。この大山祇神社さんも、縁起はともかく、毎月月次祭が行われ、2月25日、7月23日、11月18日・19日が祭日となっています。
このようにキチンと祀られ、毎日参拝に訪れる方も、多い。森となった小山のてっぺんに、木々に囲まれた大山祇神社と、磐座。
ここへくると、大自然の神を感じられるのは、間違いない。