物部川の橋と、木星〔4940〕2016/10/24
2016年10月24日(月)秋晴れ!
やっと、秋晴れ。澄んだ空に、星が瞬く。
写真は、会社の裏手、物部川の土手。東の空が明るんできはじめた時間帯に、シャッタースピードを遅くして撮影してみました。ホントはもっと、暗いんですね。
左の橋が旧道の物部川橋で、左端の橋の下が、昨日、バーベキューをやった場所。風が強かったので、弊社から持っていった2tトラックが風除けに役立ちました。お肉はどれも美味しかったです。
で、昨日も書いた地理院地図の航空写真。1974年〜1978年の写真で、土電安芸線の鉄橋が架かっているのが、ここ。僕が立っている辺り。ここから対岸に向けて、電車の鉄橋が架かっておりました。
かつて、橋が架かっていた方向の空には、木星。夜明けの空に煌めく星なので、金星に見えますが、実は木星。金星みたいな木星なので、キンモク星。なんちゃって。この写真には写ってませんが、あの木星の左横には、春の大三角形が姿を現しているんですね。もう、春か。夜明け前の東の空は、もう、春。秋来りなば、春、遠からじ。
ここに鉄橋が架けられたのは、たぶん、大正13年12月。高知鉄道の後免〜手結が開通した際に供用開始と思われます。
昭和8年測図の、参謀本部が作成した地図。これを見ても、ちゃんと、鉄道がここを通っておりますね。当たり前ですが。
この地図を見ても、当時の安芸線は、国鉄の後免駅から分岐して安芸までつながる、いわゆる「汽車」であったことがわかる。後免町で土電の電車にはつながって、いない。
当時も、鉄橋に並んで、道路の橋が架かっていました。その昭和8年の参謀本部の地図で確認できます。では、その頃、物部川にはどれくらいの橋が架かっていたのか。
この場所から北へいくと、戸板島の、現在戸板島橋の場所に渡し舟マーク。遡って町田堰の辺りにも渡し舟マーク。で、山田堰のところにも渡し舟マークがありますが、しゅっと北側の神母木には、橋が。
この場所から南へいくと、上岡山の南に渡し舟マーク。神母木から下流域は、まだ、渡し舟ばかりで、ここに架かっていた橋が唯一の道路橋であったのか。
と、思うて更に南を見てみると、意外なことに、河口の、現在橋が架かっちゅう場所に橋があるではないか。当時から、物部川河口部には橋があったのであります。
確認のため、今一度、1974年~1978年の写真を見てみよう。
河口の、現在の橋が工事中で、その北側にあります。橋。これが、昭和8年に存在した橋でしょうかね。勉強になりました。
ところで、この今朝の写真を見て、なんか、既視感。そうか。バイコヌール宇宙基地か。今から10年前の。
夜明け前の空と、白い服の、僕。