気付かなかった電話ボックス〔4928〕2016/10/12
2016年10月12日(水)晴れ
秋も深まってきた感じ。今日からクライマックスシリーズはファイナルステージが始まります。もう、そんな季節。
昨日は美しい風景の話を書いたユルユルのにっこりとなってしまいました。そんな日もあるさ。で、風景と言えば、いつも目にしている風景なのに、気付かないもの、ありますよね。あります。
今朝もそんなモノを発見してしまった。
ここは潮江橋南詰。鏡川に架かる大きな橋の南詰から、まっすぐに桟橋方向へと延びる電車通りを撮影してみました。午前4時半過ぎ。まだ真っ暗で、車も人も少ない風景。
この写真の右端に、電話ボックス。
そう。ここに電話ボックスがあったの、今朝まで気付いてませんでした。知ってました?電話ボックス。
この道は、中学校や高校へ通うのに通った道なので、何百回も通った道。いや、何千回か。とにかく、少年の頃からいつも通っていたのに、ここに公衆電話の電話ボックスがあることを気にしたこと、ありませんでした。全然、まったく、目に入っていなかった。ビックリ。
僕らが中学生、高校生の頃は、もちろん携帯電話もないが、公衆電話から誰かに連絡する、などということもほとんどありませんでした。
学校には公衆電話があったが、それを使うことはまず無かったし、使いゆう人を見たこともほとんど、ない。そうだ。そんな時代だ。
つまり、親子とか友人間とかで緊密に連絡を取り合う、ということが無かったんだ。
思い出してみれば、そう。
高校で、部活が終わると近所の食堂に集合。トランプしたりラーメン食べたりジュース飲んだり。で、遅くなってからのったりまったり帰宅するのだが、誰も家に連絡したりしません。
帰宅しても「遅かったね〜」の一言だけ。
そんな時代だったので、電話ボックスがどこにあるか、などということは、全然気にしてなかったのだと思われます。
もし、当時からここに電話ボックスがあったのだとすれば、あの、クリーム色で屋根が赤い電話ボックスだったのでしょうか。全然記憶にありませんが。
今は携帯電話の世の中なので、また、電話ボックスの必要性が極めて低下しております。ここに電話ボックスがある、と気付いている人は、更に少ないのかも知れません。
昔、友人と待ち合わせする場合は、時間と場所をキチンと決めてました。遅刻する奴は嫌われる。東京で下宿生活をするようになっても、電話は大家さんの呼び出しだったので、よほどの急いだ用事がない限り電話がかかってくることも、ない。で、お金を送って欲しいなどという緊急の用事がある場合は、銭湯の近くの公衆電話からコレクトコールをかけてました。
それでも、コレクトコールなどというサービスが始まっていたので、それより前の皆さんよりは近代化されておりました。
電話料金が高く、色んなサービスが無い時代は、皆、手紙を書いてましたよね。昔の人は、本当によく手紙を書いた。
今は、携帯電話やメールで、いつでもどこでも、世界中、簡単にコミュニケーションが取れる時代。なんとなく、いつも繋がっている感じ。ゆるゆるだらだら繋がっている、そんな感じ。
昔は、繋がってないときは完全に繋がってない、繋がる時はキチンと、心して、繋がる。そんな濃淡、ON OFFがはっきりしちょりました。どちらが便利かと言われれば、現代の方が便利に決まっちょりますが、どちらが「良い」か、となると、考えさせられてしまいます。
繋がってないときは完全に繋がってない。
そんな時間に、人間は、考え、生産的な仕事を創造できるかも知れない、などと妄想してしまう。
繋がってないときは完全に繋がってない。
早朝の電話ボックスで、そんなことに憧れた。