潮江天満宮の霊杉、鶴岡八幡宮の大銀杏〔4894〕2016/09/08

2016年9月8日(木)降ったりやんだり、後、晴れ
潮江天満宮の霊杉については、過去、3度程ご紹介しております。一番最初は、今から12年前。2004年4月30日のこと。
この写真は、今朝、5時過ぎの霊杉。右手の建物が潮江天満宮本殿。つまり、ここは本殿の真裏。
正面に杉の木。その下、柵で囲まれたところ。そこに「霊杉」があった。
そこに屹立していた古い古い杉の木は、天保年間、社殿に差し障りがある、ということで伐採の協議が行われていた。ところが、その夜、暴風雨。その暴風雨によって杉の枝が曲がり、社殿に差し障りがなくなって、伐採する必要がなくなった、という話。
その杉は「霊杉」として崇められ、明治17年、「霊杉之碑」という碑が建立されたのでありました。
ところが。
その霊杉は、昭和20年、戦災で焼け落ちてしまいました。
この柵の中には、根株だけ、残る。
その柵の外。この正面と、柵の向こう側。二本の、杉。これは、霊杉のDNAを伝える杉なのかも知れない。12年前の写真と比較すると、随分大きくなりました。
いや、昭和20年に焼けた杉の子供、ということはないかも知れない。
しかし、霊杉の想いがつながっている杉のように、見えます。
ご神木や、象徴的な巨木も、いつかは、倒れる。それは運命。
それで思い出すのは、鎌倉、鶴岡八幡宮さんのイチョウの木。
2010年3月。樹齢1000年を超える、とも言われる鶴岡八幡宮の大銀杏が、折からの強風に煽られ、倒れてしまった。覚えちゅう方も多いと思います。
鶴岡八幡宮の、参道から拝殿へと上がっていく石段の脇。
建保七年(1219年)1月27日、鎌倉幕府三代将軍源実朝が、拝賀の儀式に参列するため、鶴岡八幡宮を訪れた。儀式を無事終え、石段を下っていた、その時。
石段脇から突然現れた若者が実朝に斬りかかり、暗殺してしまった。
この事件の後、幕府は執権北条氏の支配下におかれていくことになる訳だ。その重要な暗殺事件で、犯人の、実朝の甥は、その大銀杏の陰に身を潜めていた、という伝承。その伝承が故に、「隠れ銀杏」とも呼ばれていた、大銀杏。
ひょっとしたら、実朝暗殺現場の一部始終を見ていたかも知れない大銀杏が、強風で、あっけなく倒れてしまったのが2010年3月のこと。
仕方ないですね、生き物ですき。
しかし、残った根っこの部分から新たな命が芽生え、成長を始めている、と言います。そう。命は限りあるもの。しかし、永遠につながっていくもの。
この潮江天満宮の霊杉の根株と、若い杉は、そんなことを教えてくれる。