W杯、カープ、潮江用水〔4888〕2016/09/02
2016年9月2日(金)薄曇り
薄曇り。なんか、早朝はすっかり秋の気配。まだ秋になるのは早いよ〜。残暑厳しくあってもらいたいもんだ。
今年の広島カープの快進撃、すごいっすね。いや、ものすごい勢いで、25年振りのリーグ優勝に近づく広島カープ。カープの近年のマーケティングは、素晴らしいと思います。やはり、ズムスタになってからが大きいでしょうか。「カープ女子」という言葉が流行ったことからも判るように、観客層と、その楽しみ方が劇的に変わった。このカープの戦略は、勉強になります。
高知市内には、カープファンが集うお店が3軒あるそう。テレビでカープの試合が生で観れる、つまりパブリックビューイングができる、お店。焼き鳥屋さんとお好み焼き屋さんと、小さなカウンターだけの飲食店。
その小さなお店は、柳町から路地を入った、とても入り組んだ場所に隠れ家のように、あります。
カウンターだけのお店だが、真ん中に大きなテレビ。
店の外からも、そのテレビの存在がわかる。
昨日はサッカーW杯予選があったにかありません。ので、路地を歩く若者がそのテレビをみつけ、サッカー観れますか?と入店してきたそう。
店主「いや、うちはカープ戦しか流しません」
素晴らしい。こういう話、なんか、嬉しい。熱烈カープファンにとっては、W杯サッカーよりも、カープの方がずっとずっと大切なんですね。いや、良い話でした。
さて。
今朝も潮江天満宮界隈。天満宮の西側の、大山祇神社さんがある小山の更に西側。
このような水路が、あります。以前にもご紹介しました。潮江用水。
神田川の水を取水し、ここを通って潮江方面へと流れる用水。広大な潮江の農地は、この灌漑用水によって潤されておるんですね。この用水ができるまでは、潮江は、水が不足する場所でありました。
右手は、鏡川に流れ込む川。丁度満潮で、汽水域であるここは、水面がかなり上昇しておりますね。その右手は競輪場。
この用水、神田川で取水され、吉野川をサイフォンでくぐり抜けて東進し、ここに至っています。
何故、サイフォンでくぐり抜けるという高度な技術が必要だったのか。それはこの昭和初期の地図を眺めていると、わかってくる。
当時、神田川は南に大きく蛇行していた。その蛇行の南端に流れ込んでいたのが、吉野川。吉野川が流れ込んだあとの神田川から取水し、潮江用水としていた。この地図で、潮江用水が波線に描かれちゅうので、よくわかります。
戦後、この吉野川がまっすぐに付け替えられる。南に蛇行していた部分は、西側は埋め立てられ、東側は吉野川の下流となって、神田川に流れ込む。
潮江用水を取水していた場所は吉野川の下流になりました。吉野川では全然水量が足りないので、改めて西側の神田川から取水し、吉野川の、かつての取水口のところをサイフォンでくぐって、潮江用水につなげた。そんな歴史が、この地図を眺めるだけで想像できるではありませんか。地図は、すごい。
更に。
明治11年に河田小龍さんが描いた「高知市街全図」を見ると、吉野川は、神田川に流れ込まず、東へと流れて、この写真の場所、潮江天満宮の西側で鏡川に流れ込むように描かれています。
その流れが、神田川の蛇行部に流れ込むように付け替えられ、神田川直線化を経て、現在の姿になった、という訳だ。
文字にしてこうやって書いても、なんのことやらわかりませんよね。わかったらすごい。
ともあれ、潮江用水。
この水門は、潮江の農家の皆さんによって管理されております。大雨で増水した際は、この水門を開け、用水から鏡川へと直接流れ込むようにして、潮江の農地を洪水から守るとのこと。
暮らしを守り、豊かにするための人々の知恵と努力は、延々と続いてゆく。