上岡八幡宮拝殿、改修工事中〔4849〕2016/07/25
2016年7月25日(月)薄曇り
ひまわり乳業の本社は、南国市物部。その地区の氏神様は、物部川を渡った、香南市野市の上岡八幡宮さん。なので、僕は、基本毎朝お参りしてから出社しております。
しかし、出張やらなにやらで、参拝できん朝も、あります。このところもそうでして、今朝は久々、先週、21日の木曜日以来の上岡八幡宮さん。で、驚きました。
今朝、4時半頃の八幡様。
まだ真っ暗い時間帯。暗い参道を歩き、拝殿へ上っていく石段に近づくと。何か、風景が違う。拝殿軒下の灯りが照らす拝殿正面が、のっぺりしているではないか。急いで石段を上がってみたら、こんな感じ。
今までは、こんな感じでした。昨年の大晦日の早朝撮影したのが、これ。
拝殿の入り口が閉鎖され、入り口へ上がっていく階段が取り外されています。おう。改修工事だ。
拝殿の真下に、丸みを帯びた石が積まれています。これは、この工事で補強のために積まれたのかどうなのか。
どんな改修工事が行われるのか、楽しみですね。
以前、何度も幾度も書いてきたように、石船伝説の残る、神の山、上岡山。上岡は神の岡。
昨日、里山には、村で共有管理する資源山と、墓山がある、てな話を書きましたが、もうひとつありました。神様の、山。
この上岡山周辺は、古くから人々が住み着き、栄えた場所。その真ん中に立つ上岡山で、木を伐ったりすることは禁じられてきました。
「土佐州郡志」に「上岡山 在村東物部川渡口 不許伐採」とあります。山のすぐ東に、物部川の渡しがあり、山の木々を伐採することは禁止されていた。
石船伝説ということは、物部氏の色が濃い神様でした。それがいつしか八幡様に。
いつ頃から八幡様になったのでしょうか。
昨日、久満荘の話を書きました。少し地盤の高い扇状地。その久満荘が立荘されたのは、今朝調べてみますれば、826年。これは、早い。さすが。秦泉寺廃寺との関係もありそう。
で、土佐で、荘園がたくさんできてきたのが概ね12世紀〜14世紀頃なんですね。鎌倉時代が多い。特に東部の安芸郡では、石清水八幡宮領の荘園がたくさん成立し、地元の最御崎寺などと争ったりしています。奈半利荘、田野荘、安芸の、有井荘、夜須荘などなどが、石清水八幡宮領の荘園。
そんな時代風潮の中で、神の岡も、八幡様になったのかも知れませんね。全然違うかも知れませんが。
ともあれ。
まだ、クマゼミも鳴き始めない、静かな静かな八幡様。漆黒の森に浮かび上がる拝殿は、今、改修工事中。