代車1号はレンタカー〔4832〕2016/07/08
2016年7月8日(金)小雨
久し振りですね、雨なんて。昨日も書きましたが、まだ梅雨が明けてないこと、忘れちょりました。この雨が終わったら梅雨明けでしょうかね。
昨日、追突された車の半ドア警報ブザーを止めてもらう、という「七夕の朝の誓い」を立てました。朝1番で、自動車屋さんへ。ディーラーは高知トヨタさん。
行って、事情を説明しますと、なんと、保険会社から連絡が入っちょったとのことで、少し待てば代車を準備できる、との嬉しい説明。代車を構えてもらうことにしたのは、言うまでも、ない。
高知トヨタさん、Good Job!
で、これが代車1号。いつも乗りゆう車とほとんど同じ。良い車です。
ナンバープレートが「わ」ナンバーであることから、レンタカーであること、わかります。
なんでも、レンタカーに利用されるひらがなは、「わ」か「れ」であると決められちゅうとか。沖縄はレンタカー需要が多く、「わ」が一杯になってしまって「れ」が使われるようになった、てな記事を発見しました。どうでも良いですが。
で、世界で最初のレンタカーは。
世界初の営業目的のレンタカーは、大正5年、もちろんアメリカで始まったと、ネットに書いちゃありました。まあ、そんな感じでしょう。レンタカーに利用されたのは、ご存知T型フォード。大正5年(1916年)のこと。
T型フォードと言うたら、まあ、自動車というものを世界中に普及させることになった、汎用品の代名詞みたいな車だね。
何故、「T型」なのか。
なんか、あの車の形状、姿形が「T」に見えるからかな?などと思っている貴方、それは間違い。僕は、ずうっと、そう思うちょりました。
ヘンリーフォードが独立して自動車生産を始めたのが1903年。で、「モデルA」を発売。で、翌年の1904年に「モデルC」。1905年に「モデルF」。
途中に抜けはあるが、アルファベットの順番なんですな。いかにもフォードが考えそうなこと。
で、1906年末に発売した「モデルN」がヒットし、その勢いで改良を重ねて1908年に登場したのが、「モデルT」なんですって。なるほど。
まあ、開発担当者は、ヘンリーに追いまくられておった、という雰囲気が伝わって来る。1903年にAで、1908年にはTですきんね。いや、大変大変。
スティーブ・ジョブスと同じ匂いがします。ヘンリー・フォード。とんでもない発想力と、突破力。無理難題を無理無理にでも実現させてしまう、カリスマ性。
そのヘンリー・フォードが、日本でのフォード車販売の展開を進めるに際し、注目した人物がおりました。我が土佐の交通王、野村茂久馬翁だ。
野村茂久馬さんが「野村組自動車部」を設立したのが大正8年(1919年)。T型フォードは、1908年から1927年まで、基本的なモデルチェンジが行われんかった、と、ウィキに書いちゃあるので、野村組自動車部が設立された時期は、丁度、T型フォード全盛期。
で、なんとヘンリー・フォードさん、日本でも、高知という片田舎で商売を営む野村茂久馬さんに、日本での総代理店をやらないか、と持ちかけたそうなんですな。直接依頼した、と言います。いや、すごい話。
その時の茂久馬翁の返事は「わしは土佐の野村でえい」。
その話を断り、土佐の産業発展に尽くした野村茂久馬翁。偉い人がおったもんです。
歴史に「もし」は禁物ですが、このとき、茂久馬翁がこの話を受けていたら、高知や日本の自動車産業史は、どんなになっちょたのか、妄想するだに、楽しい。
それはともかく、しばらくは、この「代車1号」に頑張ってもらうことになります。