四ツ橋、今昔〔4814〕2016/06/20
2016年6月21日(月)晴れ
昨日は雷雨になっちょりました。が、今朝は雨も上がりました。月曜日。
ここは、四ツ橋。はりまや橋の東の、立派なバス降り場の前、電車通りに架かる歩道橋の上から、かるぽーと方面を撮影してみました。今朝、4時過ぎ。
一年で一番夜が短い季節ですが、さすがに4時過ぎは、まだ夜。シャッタースピードを遅くすると、美しい風景が。
四ツ橋。
ここは、堀川と、横堀、つまり新堀川が交差する場所でした。はりまや橋の下に川が流れていた、昭和43年まで。川が交差すると、そこにロの字の交差点ができて、ロの字に橋が架けられたら四ツ橋。大阪の地下鉄に四ツ橋線というのがあるが、あれと同じ理屈。
ここにロの字型に橋が架かっちょった歴史。以前、その歴史を書いたことがあるので、転載しましょう。
「まず、藩政期の比較的早い時期に架けられたがが、ロの字の西側の幡多倉橋、そして北側の菜園場橋。そう。当初、北側の橋は菜園場橋でし た。で、その後、その橋の袂に存在した豪商木屋の屋号から木屋橋と呼ばれるようになったのであります。そして、時代は下って昭和5年、現かるぽーとの場所 に全国で2番目の中央卸売市場が開設されるにあたり、ロの字の東側に橋が架けられて、そっちの方が菜園場橋と呼ばれるようになった訳です。ついてきよりま すか?
でですね、翌年の昭和6年に南側の納屋堀橋が架けられて四ツ橋が完成。」
と、いうことですな。
さて。ここで今日も地理院地図だ。
まず、現在の衛星画像。これ。真ん中の丸い部分が、高知市文化施設かるぽーと。その北側が四ツ橋があったところ。
そこで、いつものように1974年〜1978年の空中写真。比較して、見てみてください。
今のかるぽーとの場所は、駐車場。あそこに中央卸売市場があったのは昭和42年、つまり1967年まで。なので、当時は市場は取り壊されて駐車場として利用されておりました。
上にも書いたように、幡多倉橋からはりまや橋の下、そして大丸の前までの堀川が埋め立てられたのが昭和43年。1968年。なので、この空中写真では、西側の幡多倉橋は橋ではなくなっています。
南側の納屋堀橋は、かろうじて橋の様子を留めていました。
そう。かるぽーとの工事が始まるまで、トラスが残っちょりましたよね。ついこないだのこと。僕にとっては。
さて。
今朝は、ここから与力町へ。車を停めてあったので。で、車に乗って出発すると。ゴリゴリゴリゴリ。ん?
ああ。パンクだ。
左側の前輪。見事にパンクしてやがりました。どうしよう。朝、4時過ぎのこと。
幸い、雨は止んじょったので、スペアタイヤに付け替えるという重い決断。ああ。暑いぞ。
車に表示されちゅう気温は24℃。しかも、さっきまで雨が降りよったので、湿度がすごい。ジャッキアップをするだけで、もう、汗だくになってしまった。久々にタイヤの交換を、汗にまみれてやった朝。
さあ。今日も頑張ろう。