雨の五台山で〔4791〕2016/05/28
2016年5月28日(土)降ったりやんだり
今朝は、高知。昨日、3日振りに帰ってきました。やっぱし、高知は、エイね〜。落ち着きます。昨日、羽田空港は大韓航空のエンジントラブルで大変やったにかありませんが、私は成田空港からのLCCで高松やったので、何の影響もありませんでした。
まあ、快適でした。Jetstar。グッドデザイン金賞のソファについては、まだ、言いたいこと、ありますが。
さて。今朝午前中、久々に五台山をたつくって来ました。雨の五台山。五台山に雨はよく似合う。竹林寺さんも、そして牧野植物園も、じつにまっこと雨が似合う。そう思いませんか?
それだけではなく、山中に分け入ると、この季節、雨に濡れた緑がなんとも言えない生命力を醸し出して、見事。マイナスイオンも、心を豊かにしてくれる。
今日は、あまり人の通らない山道を駆け上がってみました。途中から整備された山道に合流し、ここを通りました。そう。伊達兵部さんの、墓所。
このにっこりひまわりでは、何度かご紹介してきました。仙台藩で幼主を後見して実権を握った、いわゆる伊達騒動の片方の主役。
NHK大河ドラマの「樅の木は残った」では、佐藤慶さんが演じておりました。「樅の木は残った」は、藩政期前期の日本を揺るがしたお家騒動を題材に、山本周五郎さんが、新しい解釈で書いた意欲作。
その頃、日本では、改易、お取り潰しの嵐が吹き荒れていた。
徳川幕府は、政権の安定化を図る意図もあったでしょう、何か問題があったり後継者が居なかったりした藩を改易にし、徳川一族を送り込んだりした。
江戸時代に改易があったのは、圧倒的に17世紀。で、理由を見てみますれば、やはり圧倒的に多いのが「無嗣断絶」だ。後継なし。
これも、予め、対応はできた部分もあるだろうが、幕府側の利害で無理やり改易、なんてえものあったと思います。
その他の改易理由は、「藩内の騒動」「発狂」「乱心」「失政」「刃傷事件」などなど。この「刃傷事件」は忠臣蔵ですな。
ともあれ、何かきっかけがあれば、幕府は、改易を狙っていた。
伊達藩といえば大藩。
伊達騒動で揉めに揉めた。そええだけでも改易理由になりそうだが、ならなかった。その理由は、色々と考えられるが、普通に考えると、やはり、伊達藩の力が大きすぎて、下手に手を出すことが憚られた、ということではないかな。
樅の木は残ったでは、すべての罪をかぶり、伊達藩存続のみを考えた原田甲斐、というストーリーだが、真相とするには無理がありますよね、普通に考えると。
ともあれ、通説でも、樅の木は残ったでも、どちらでも悪役に描かれているのが、ここに眠る伊達兵部さん。伊達政宗公の10男。
騒動の責任を取らされ、山内家預かりとなって土佐に送られ、土佐で終生を過ごした伊達兵部さん。真実はどうだったのかは、今となっては誰もわからない。
ちなみに、何度か書きましたが、その伊達騒動の主役の一人で酒井雅楽頭邸で絶命した柴田外記さんは、長宗我部元親さんの。実の孫。仙台の南の柴田町に、供養塔があります。お参りに行ったのは、もう、8年も前か。
伊達騒動で兵部が土佐へ来たのが1671年頃。で、土佐で亡くなったのが1679年。8年、暮らしたのか。遠い遠い土佐で、仙台を思いながら、8年。
この墓所は、今も、きれいに整備されています。300年の時を超えて。