河原風景〔4785〕2016/05/22
2016年5月22日(日)晴れ
毎年恒例になりました。物部川の河川敷で、高知県の畜産関係者が中心となり、一流のシェフが腕お振るうという贅沢なバーベキュー、物部川BBQ。
今年も、一段とレベルアップしたものになって、本日開催。場所は会社の裏手。しゅっと。ねき。
物部川の河川敷の、雨が降っても大丈夫な、橋の下。50人を超える善男善女雨が集まりました。
今年のメニューは今感じ。
〇土佐あかうし、四万十鶏のお肉
〇土佐あかうしのハンバーグ(安井、山本両シェフの力作)
〇須崎の取れたてお魚
〇町戸さんのうつぼ
〇岡崎さんのトマトと田増さんのお野菜
◯むらびと本舗さんのはちきん地鶏
あと、鹿肉とか、三谷ミートさんの差し入れとか。
これにひまわりリープル。そして、貴重な川添ヤギ牧場のヤギミルクも出品しました。ヤギミルクは、製造開始以来足らない状況が続いておりますので、なかなか貴重なもの。皆さんに楽しんで頂きました。
河川敷。
現在のように、物部川の河道が固定化されてきたのは、藩政期初期の野中兼山時代にさかのぼると言われております。が、それでも、あちこちに流路の跡があり、Googleマップの衛星写真で見てみても、旧河道の痕跡はよくわかる。
地理院地図で見ると尚更だ。主題図の、治水地形分類図というのを見ると、旧河道の状況もよくわかる。現在の農業用水の流路は、この旧河道の影響をかなり受けちゅうことも、よくわかります。
そんな自然の流れを堤防で無理無理今の流れに閉じ込めちゅうのが、現在の物部川。
その河川敷は広く、こうやって行楽にも使えるし、以前はここでソフトボールやったりしよりました。
対岸の少し北には、サッカー場などもある、広い広い河川敷。
昔から、河原、河川敷は、様々な使われ方をしてきました。特に都市周辺の河川敷、河原は、人々が集まり、楽しむスペースとして活用されてきた。誰の私有地でもない、公共スペースとして。河原者と呼ばれる芸能や流浪の民が集まり、そこに庶民が娯楽を求めて集まってくる。
河原は、公的権力の及びにくい、自由な空間として栄えたのかも、知れない。
以前なんども書いたことのある「のえくり」。幕末、高知の城下の鏡川河畔で毎夜繰り広げられ、異様な盛り上がりを見せたという、集団で踊ったりする「のえくり」。夥しい男女が夜な夜な集まり、踊り、飲み食いして盛り上がった。それも、河原のもつ自由な空間があったればこそ、であったのかも知れません。
一遍聖絵とかには、河原での道々の輩の風景が見事に生き生きと描かれちょりますが、河原は、公共の自由な空間、権力者も庶民も、虐げられた人々も一緒になってごちゃごちゃと過ごす、楽しむ空間として、太古の昔から利用されてきたのか。
今日のこの風景。
贅沢なお肉がふんだんに使われ、いろんな立場の人々が集まって過ごすひと時。いや、これが、正しい河原の使い方だね。
そんなこんなを考えながら、今から食べて、飲まんといかん。