4度目の丸山台でのったりまったり〔4771〕2016/05/08
2016年5月8日(日)晴れのち曇り
3年振りの丸山台。
そう。今日は、浦戸湾に浮かぶ小島、丸山台上陸作戦を敢行しました。普段は島なので、船でもないと上陸できません。が、年に何度か、大潮の干潮で、陸から歩いて行ける日があるのであります。なので、徒歩上陸。これで4度目。
1度目は2008年5月5日。もう、8年も前だ。2度目が2010年4月29日で、3度目が3年前、2013年4月27日。おう、いずれもこの季節ではないか。
以前にも書いたように、この島には、大きな料亭があった。古き良き高知の賑わい。
この北の対岸、若松町は稲荷新地、つまり下(しも)の新地として賑わい、その延長線上に、この島はありました。船で往来するのが当たり前であった時代。島であることは、なんのハンディにもならなかった。いや、舟で浦戸湾や堀川を行き来していた時代は、むしろ便利もであった、島。
稲荷新地ができたのはもちろん明治になってから。で、明治16年に、稲荷新地で一番繁盛しておった此君亭(しくんてい)が、この島に支店の「丸山台温泉場」をつくったのでありました。
前年の明治15年に、板垣退助岐阜遭難無事帰高大宴会を、この島で催しちょりますので、これはいける、と、商売上手な此君亭主が思うたのでしょうか。
ああ。気持ち良い。
今までは、上陸し、探検するのが目的でした。が、もう、4度目になりますと余裕ですな〜。パソコンやらビールやらとチキンやらチーズやら、それに本までリュックサックに詰め込み、やって来ました。初めての上陸の時は、どのルートを歩いていくのかは手探りでしたが、今はもう知り尽くした上陸ルート。目をつぶっても歩いて来れます。それは無理か。
で、島の緑地の中にしつらえられちゅうテーブルと椅子に陣取り、のんびりのったりまったり。ああ。至福だ。
今日は、干潮1時間前には上陸しました。ゆっくりできますな〜。
それにしても、この8年の間に、植生も変わりました。前回、前々回の上陸時に咲いていた紫の花は姿を消し、なんか、幹の太す不思議な雑草が増えておる。そして、薄紫の花を咲かせる栴檀だ。
前回の写真を見てみると、鳥の糞害で枯れ木みたいになっちょった栴檀も、今は見事に蘇って美しい。
その向こうに広がる干潟。浦戸湾のこの界隈は、昔から貝掘りで賑わった干潟なんですね。
丸山台。
昭和の南海地震で陥没したと言います。それまで、島の大きさは、今の2倍くらいはあったと言う。この向こうの干潟の方まで島であった、と。
現在浦戸湾に浮かぶ島は、玉島、衣ヶ島、それにこの丸山台。
現在は人工島になった弘化台も、玉島も衣ヶ島も、東西の連山からつらなってくる地層に属する島であることは、Googleマップを見れば一目瞭然。だって、連なっちょりますもん。
しかし丸山台。地面を調べてみても、岩石があるようには見えないし、東西に連なる島も山も、ない。
と、言うことは、だ。鏡川や国分川が運んでくる土砂が、合流地点であるこの界隈に堆積して洲となり、いつしか島となったのか。岩石島では、ない。
なので、表面が平らかであり、料亭をつくってもノウがエイような地形であったのかも知れない。いや、きっとそうだ。
玉島とか弘化台に料亭をつくろうという話を聞いたことは無いですきんね。浦戸湾でも、特別な島であった、丸山台。
さて。
普段のにっこりひまわりってえのは、どっかで写真を撮って、会社や家に帰ってから書くのが普通。ですが、今日は、パソコンをリュックに担いで持って来ちゅうんですな。
この写真。わかりますでしょうか。テーブルにPCを広げ、書いている風景。そう。今日はここでにっこりを書き、チーズを肴にビールを飲み、読書をして、午後の用事に備えよう。
誰もいない無人島で、ゆっくりと過ごす至福の時間。
うっかり寝てしまい、潮が満ちて帰れんなったら。それはそれで、なんか、楽しいのかも知れない・・・