日章飛行場の建物〔4760〕2016/04/27
2016年4月27日(水)小雨
昨夜は久々に走って帰りました。開通したばかりの東部自動車道沿いに、新しい側道ができちょります。その道を走ってみましたが、快適。道は平らかで、車もほとんど通らない。走りやすい道ができました。
で、今朝は空港バスで出勤。
こないだの東部自動車道開通で、空港バスのルートが変わりました。駅前観光さんのは、全便、東部自動車道を通るルートで、農学部前とか、たくさんのバス停が廃止。とさでん交通さんのも、ほとんどが東部自動車道ルートになりました。とさでんさんも農学部前とか廃止になったのかと思いよりました。ので、昨日のうちに高知空港の自転車置き場に、愛車「黒い折りたたみ号」を置いておき、今朝は空港から自転車で出勤しました。
ところが、とさでん交通さんの新しい時刻表を見てみますれば、空港への往路のみ、空港到着後、高専前と農学部前にも停待ってくれるようになっちゅうではないか。とさでん交通さん、Good Job!
今度から、そこを使おう。
ともあれ。
写真は、高専の方から空港へと向かう道。右手のフェンスの北側は農学部の牧場や農地。現在の空港ビルは、左手のトットおく。農学部と空港ビルの間には広大な駐車場。
そう。
勘違いしちょりました。
以前の高知空港。ジェット化される以前の、YS-11ばかりが飛びよった、あの高知空港。「日章の飛行場」という呼び名がピッタリの、あの飛行場の、搭乗手続きをする建物は、その正面の植え込みの辺りと、その向こう側にあったのだ。以前、吉田茂さんがおった界隈と、その西側。
以前の飛行場の建物があった場所、なんとなく、この写真左手の管制塔がある、あの界隈と思い込んじょりました。皆さんはいかがですか?
僕にとっては意外にも、前の空港の建物は、こんなところにあったのでありました。農学部のしゅっと目の前ではないか。
そう言えば、右側の道の北側に、農学部の敷地に入り込むように四角い敷地がありますよね。国交相管理の。あそこ、空港の関連施設、建物があった場所なんですね。なるほど。
これ、地理院地図で確認してみて、判りました。
地理院地図では、最新の航空写真と、過去の写真を同じ構図で見比べることができます。東京などの場合は、最新の写真から、1988年〜1990年、1984年〜1987年、1979年〜1883年、1974年〜1978年、1961年〜1964年、1945年〜1950年と、7つの年代の写真を見ることができます。が、高知の場合は、最新のものと、1974年〜1978年の写真が見れます。
それは、私が中学・高校生の時代だ。
田舎のバスターミナルにしか見えないような飛行場の建物。あの建物から、YS-11に乗りよりました。今の空港ビルが完成し、高知空港にジェット機が降り立つようになったのは、僕が大学4年生の頃。東京からの帰省に、ジェット機を利用するのになんとか間に合いました。
大学生の頃、いつも使いよった飛行場なのに、その場所を勘違いしていた。人間の記憶なんぞ、あてにならんもんです。いやまっこと。
ちなみに、地理院地図の弱点は、「最新」と書かれちょっても「2007年〜」。2007年かも知れないし、今年かも知れない。高知の航空写真を見る限り、最近ではないですね。東部自動車道の空港インター界隈の工事が始まったばかりのように見えます。
ところで、日章の飛行場。
YouTubeで、「よみがえる8ミリ映像」と題して、動画で見ることができます。これ。
昭和50年代前半、とあるご家族が8mmで撮影したフィルム。三宝山スカイパークとか、フェスティバル土佐鏡川まつりとかの懐かしい映像とともに、一瞬ではありますが、高知空港の映像も見れます。始まって3分ちょっとのあたり。
そうそう。平屋でしたね、空港の建物。で、外に、滑走路やエプロンの飛行機を見れるように、フェンスに囲まれたスペースがあった。昔の飛行場のセキュリティはこんなもんでしたな。良い時代。
東京へ行き来するYS-11に乗るのに何度も幾度も利用した飛行場なのに、もう、記憶が薄れていて、場所がどこにあったのかすら、勘違いしている。
昭和は遠く、なりにけり。