権現さま〔4746〕2016/04/13
2016年4月12日(水)薄曇り
金毘羅(こんぴら) 船々追い手に 帆かけてシュラシュシュシュ 回れば 四国は讃州(さんしゅう) 那珂(なか)の郡(ごおり) 象頭山(ぞうずさん) 金毘羅大権現(だいごんげん) いちど まわれば
こないだ、丸亀から走って金毘羅さんを駆け上がり、純信お馬逃亡の終焉の地を、ご紹介しました。
江戸時代にお伊勢参りに次ぐ大人気を博した金比羅参り。で、江戸時代末期には、上に書いたような「こんぴらふねふね」が成立して、これも人気となる。京の料亭などで、この「こんぴらふねふね」を歌いながらのお座敷遊びができたりしたほど。
で、金比羅大権現。
そう。元々は権現様。
権現は、本地垂跡の考え方によるもので、仏教の仏様が、仮の姿として神様となって現れている、というもの。「権」は、仮に、てな意味。
権守(ごんのかみ)は、ナンバー2。神社へ行くと、権禰宜がおりますが、禰宜に次ぐ役職。権大納言となると、大納言の次席でしょうか。
「権」を「ごん」と読むと、このように、仮に、てな意味合い。「権」を「けん」と読めば支配する力、みたいな意味合いでしょうか。
で、権現様。
明治になり、神仏分離が行われ、廃仏毀釈運動などが展開して、日本の宗教の風景が変わってしまった、てな話は何度も幾度も書いてきました。新しい支配体制を確立するため、神道と神様が利用される必要があったから。
で、権現様も、神社になった。弁天様は厳島神社になり、妙見様は星神社に。
で、権現様。
日本各所に、今も、権現様と呼ばれる場所があります。「神社」と名を変えても、やはり、皆、権現と呼ぶ。
権現様は、至るところに鎮座ましますが、八幡様とかお稲荷さんとかみたいに、神様は決まっちゅう訳ではない。仏様が神様の姿で現れているのが権現様なので、その仏様によって神様も違ってくる。
熊野権現。
権現様には、山岳信仰や修験道が仏教に習合しちゅうケースも多い。その代表的なのが、熊野権現。山岳信仰のメッカ、熊野権現。いや、信仰の話なので、メッカなどという単語を使うのは不謹慎か。
熊野三山は、本宮、新宮、那智。その三山の三社の神様が、家津美御子、速玉、牟須美。それを総称して三所権現。熊野三所権現。
写真は、南国市の熊野神社。吾岡山の南側。急な斜面を利用して建てられた熊野神社は、明治になるまで、つまり神仏分離になるまでは三所権現と呼ばれておりました。
天正3年(1575年)に、長宗我部元親が阿波へ兵を出すに際し、戦勝を祈願して紀州熊野権現を勧請してきたのが始まりにかありません。何故、この場所か、という理由は、行ってみればわかる。
巨岩が急斜面に転がり、なんとなく修験道の雰囲気を醸しだす山ですきんね。
権現様と言えば徳川家康。
日光東照宮は家康が神様として祀られちゅう訳で、東照大権現と言えば家康。家康は、神様が、仮の姿としてこの世に現れたもの。もともとは神様。そういう権威付けをしたかったのでありましょう。天皇陛下が現人神なので、家康も、神様でないとね。
身近な神社も、実は権現様であった場合が多いんですね。会社の周辺でも、ここ、熊野神社が三所権現ですし、野市、深淵の深淵神社は深淵権現。野市、大日寺の奥に鎮座まします日吉神社は山王権現で、比江山の日吉神社も山王権現。後免の街中にある日吉神社も、山王権現。南国市田村の若一王子神社も、王子権現。
あたりかしこに、権現様。