七つの丘の都市〔4745〕2016/04/12
2016年4月12日(火)晴れ!
良いお天気。このところ暖かい朝が続いたので、10℃を下回った今朝は、寒く感じたことでしょう。花冷えの朝。
さて。
昨日、段丘の話を書きました。で、江戸(東京)も、ローマと同じく七つの丘の上に構築された都市である、とも書きました。
柘榴坂があったのが淀橋台の斜面とも書いたのですが、淀橋台は、正確に申しますれば、七つの丘の一つ、とされる台地の名称ではありません。申し訳ございません。芝・白金台地が、一般的な名称。
それでは、一般的に、東京の七つの丘はどれどれなのか。
上野台地、本郷台地、小石川・目白台地、牛込台地、四谷・麹町台地、赤坂・麻布台地、芝・白金台地。以上、七つ。
で、その台地の間の谷が、千駄木・不忍谷、指ヶ谷谷、平川谷、溜池谷、古川谷。
七つの丘のうち、南側の麻布台地と芝・白金台地は、地学で言えば下末吉面。北側の武蔵野面よりも、古い。なので、固い。なので、開析谷が入り組んで、複雑な地形となり、支谷が多く入り組んで、急な崖もたくさん形成される。麻布とか、白金とか、そうですよね。
で、七つの丘。
調べてみると、世界中に、七つの丘に作られた都市があるんですな。知りませんでした。古代ローマと江戸だけではない。
飛んでイスタンブール。トルコのイスタンブルも、七つの丘の都市なんですって。
あの都市は、4世紀に、ようやく衰え始めた古代ローマ帝国のコンスタンティヌス1世が、ローマ帝国の首都としてローマから遷都してきて作った大都市。コンスタンティノポリスだ。
ローマから遷都してきただけあって、七つの丘がちゃんとありました。で、丘の上には、やはり宗教施設があった、コンスタンティノープル。
ポルトガルの首都リスボンも、「七つの丘の街」として知られちゅうんですってね。僕は知りませんでした。行ったこと、ないし。
スペインのバルセロナも「七つの丘の都市」だそうだ。なるほど。
モスクワも七つの丘の上に建設された、という伝説もあるそうですが、これはなかなか無理むっちゃく感が否めません。ローマ帝国を継承するのは我々だ、という正当化の為のこじつけっぽい気もしますな。
ちなみに、古代ローマの七つの丘。標高は50m内外、とのことで、江戸の台地よりは少し高い標高。で、洪積台地。これは江戸と一緒だ。洪積台地を川が開析し、幾つかの丘に分かれ、その間の谷底低地に繁華な都市が広がった。丘の上は宗教施設や宮殿や邸宅。
この作りも、同じ。
江戸の都市計画を立案した徳川家康は、ローマへ行ったことも見たことも、ない。しかし、優れた都市プランナーの直感で、ここに都市を構築できることを確信したのかも知れない。
人類は、平坦な場所より、起伏に富んだ土地で暮らす方が落ち着くのかも知れません。狭い路地の狭い赤提灯で飲むのが落ち着くように。そして、その本能は、哺乳類が恐竜に見つからないように穴倉や狭い場所で暮らしてきた遺伝子に由来するのだと、僕は、思います。妄想です。
それはさておき、洪積台地。
写真は、長岡台地の段丘崖。台地の下に後免野田小学校。その橋を左へ上がった台地の上に、高知県立高知農業高校。長岡台地の裾を流れる舟入川に、一羽の鷺が、食事に訪れちょりました。
鳥は、恐竜。人類は、恐竜の末裔よりも、偉そうになってしまいました。