王を迎えた浜と安全な団地〔4723〕2016/03/21
2016年3月21日(月)晴れ!
今日も春晴れ。よいお彼岸。春分の日の代休ですが、良いお天気になりました。
今日は中村方面へと行っております。高知市西部の四万十市。
ここは四万十市の手前の黒潮町。う〜ん。四万十市に黒潮町。その手前は四万十町でした。なんだこの名称は。歴史とか文化とかと関係ない、実に安易なネーミング。こうやって並べてみると、あまりの安易さに愕然としてしまう。
で、ここは黒潮町になる以前は大方町でした。大方町と佐賀町が合併して黒潮町。まあ、良いですけど。
で、この海岸線に、土佐くろしお鉄道「海の王迎え」という駅があります。以前にもご紹介したことあります。後醍醐天皇が北条政権に反旗を翻して挙兵したのが1332年。しかし失敗し、隠岐へ流されたのはご承知の通り。その際、後醍醐天皇の第一皇子、尊良親王も、土佐へ流された。船で下ってきた尊良親王は、この界隈で上陸した、という伝説が残るんでありますね。その浜を「王無に浜」と呼ぶようになり、「海の王迎え」。
尊良親王、隠岐を脱出し、北条政権を打ち倒して建武の新政を始めた後醍醐天皇に呼応して上京しますが、南北朝の騒乱が始まって、破れてしまいました。
新田義貞らと北陸へ逃げ、越前金ヶ崎で自害したとされる尊良親王。その墓所が京都の永観堂の近くにあるのを発見して驚いたのは、昨年11月29日のことでした。
さて。この海岸から上陸した尊良親王は、この西の有井荘の庄司に守られ、有井川の上流の米原という山に御所を設けて、土地の人に守られながら過ごした、とのこと。
この海岸のしゅっと上には、標高20m〜30mくらいの海成段丘上に、新しい団地がつくられちょります。くろしお町がHPで公表しておりますハザードマップを見る限り、この団地は実の安全。黒潮町は、来たるべき南海トラフ大地震の津波最悪想定が34mという、凄まじい予想がなされた町。
なので、詳細なハザードマップがつくられ、どの地点が津波が来るのか、土砂崩壊の危険性が高いのか、避難場所はどこか、などをわかりやすく表示しちょります。
で、34mの津波がくる可能性があるのはどの地点なのか、よくわかります。
この海岸は、東西に延びる海岸。この東の岬を回ったところは、南北の海岸で、東からの津波をまともに受けるので、想定津波高も、かなり高いものになっちょります。
今年1月6日に、古くからの神社は、そんな最悪想定の高さよりも高い場所の鎮座ましますことをご紹介しました。
この上の安全な団地は、12万年前の海進の際に堆積してできた海成段丘でしょうか。平らかで、標高は高く、地盤が固い。
海岸を走ると、つい、津波のことを想起してしまう。