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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

「開放式」の「黄害」〔4711〕2016/03/09

「開放式」の「黄害」

2016年3月9日(水)雨

久々の雨の朝。寒くはありません。春の雨。
さて。朝っぱらから尾籠な話で恐縮です。尾籠な話なので、食事中の方は、やめちょいた方がエイと思います。
昨日の夜、本州から帰って来る特急南風で、トイレに行きました。用を足しながら、そう言えば、昔は地面が見えよったねや、などという感慨が突然沸き起こってきたのでありました。そう。昔の汽車は、垂れ流しであった、と。便器の底に、地面が見えていた、あの時代。

そんな訳で調べてみました。汽車のトイレ。
明治初期、汽笛一声新橋を汽車が出発して以来、汽車のトイレは垂れ流しでした。「開放式」という優雅な呼称で呼ばれましたが、まあ、垂れ流しだ。
昔は、汽車は人家の近くを通ることも少なく、また、田んぼや畑に下肥を利用するのが当たり前であったので、臭いとかも、そんなに目立つ訳ではなかった、ということ。走行中に用を足せば、飛散して、形状を留めなくなるので、まあ、合理的。

なので、停車中には利用するな、と言われておりましたよね。確か、そんなことを書いた表示板もあったと記憶します。走行中に便器を見ると、穴の下を、地面が飛ぶように過ぎ去っていく。そんな風景でした。よね?
余り気にはしちょらんかったですが、線路近くに住宅が建つようになると、異臭に対する苦情が増えてきたそうです。そりゃあそうだ。高知の土讃線ならまだしも、都会の中心部を走る電車から垂れ流したら、そりゃあ大変。そんな害を「黄害」と呼んだ、と、ウィキに書いちゃあります。これまたなかなかなネーミングですな。「おうがい」なのか「こうがい」なのか、気になりますが。
写真は、今朝の土讃線、土佐山田駅と山田西町駅の間。今はこのような住宅密集地ですが、昔は、家もこんなにありませんでした。線路近くに酪農家さんも居たくらいなので、開放式でも大丈夫だったでしょう。

それはともかく、新幹線が開通する頃になると、貯留式のトイレが設置され始めました。しかし、国鉄在来線で初めて貯留式トイレが設置されたのは、1969年、寝台車からであったと言います。

土讃線の汽車が開放式でなくなったのは、いつ頃からでしょうか。気にして見たことなかったので、記憶が曖昧。
特急南風や特急しおかぜが登場する前の、急行あしずりとかは、間違いなく、開放式でした。機関車で引っ張る形式の各駅停車も、もちろん開放式。

初代の南風はどうだったのか。初代南風が、高松と中村の間を走ったのは1972年。まだ、国鉄在来線では、貯留式が始まって3年目。導入期だ。最初に導入されたのは「国鉄キハ181系」というヂーゼル車。1968年から1972年まで製造された汽車なので、これは、最初は開放式であったと見てよろしいかも知れません。

その後、どっかのタイミングで、特急のトイレに貯留式が導入されたものと思われます。
ワンマンカーにはトイレはありませんでした。長距離を走る各駅停車には、機関車が引っ張る形式のが多く、その客車のトイレは見事なまでの開放式でした。

日本の鉄道で、本格的に貯留式への転換が図られたのが、1990年代。で、2002年頃までには、ほとんどの路線で、開放式が姿を消した。そんな日本。

子供の頃、国鉄の線路の辺りで遊ぼうとすると、「危ないき遊ばれん!」ではなくて「汚いき遊ばれん!」と叱られた記憶があります。その時は、何故汚いのか、余り理解できちょりませんでしたが、今ならわかります。そりゃあ、汚い。ブツが飛散して、形が無いなっちゅうだけのことで、実はブツだらけ、というのが線路の上であった訳だ。
懐かしい、あの時代。匂いとともに、思い出す。

朝っぱらからこんな話で、申し訳ございませんでした。


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