須留田八幡宮さんと城山高校〔4647〕2016/01/05
2016年1月5日(火)曇り
今朝も正月とは思えない暖かい朝。
夜明け前。現香南市、旧赤岡町の須留田八幡宮さんへ、お参りしてきました。
闇夜に浮かび上がる拝殿。美しくも神々しい風景。
藩政期、商業の町として栄えた赤岡の鎮守の神様。高知の城下で芝居が禁止されちょた時期でも、このお宮さんだけは例外として許され、上方芝居の役者さんなどを招いて賑やかに公演しておったとのこと。赤岡の繁栄の程が窺えます。その芝居絵を描いた絵金さんでも、有名。
繁栄と言えば、今、高知を代表する製造業に、技研製作所さんがあります。その創業者は北村さんで、この神社のしゅと西に住まわれ、もちろん氏子さん。
境内には、かつての修築や改築、修繕の際の御寄進者の名前が刻まれた石板が3枚立っちょります。一番古いのが昭和51年。「八幡宮神輿其の他修繕費」。その中に、技研創業者の北村さんのお名前があり、ご寄進額は五万円。
次に、昭和59年の改築工事の寄付者芳名の石板があります。そこには、株式会社技研製作所様の名前で二百万円。
そして。平成9年の「平成普請」。大きな石板にはご寄進者の氏名が刻まれちょりますが、一番最初にある北村家からのご寄進は「特別寄進」としか書かれちょりません。その次に二百万円のご寄進者がきますので、それよりは随分と多いことはわかります。とんでもなく多い、という話もあります。
ここでは、技研さんの成長と、北村さんの須留田八幡宮さんへの思いが、一目でわかります。やはり須留田八幡宮さんのご加護は、藩政期から変わらず、厚いのでありましょう。
赤岡。
この神社の標高は約13m。この山の南西にも、小山。現在の標高は11mくらいでしょうか。その山の上には高知県立城山高校。
何故、城山高校と言うのかと申しますれば、その山に、中世の頃、須留田城というお城があったから。たぶん、南北朝期に、須留田氏によって築かれたお城。
城山高校の歴史を調べてみました。
その始まりは、古い。
明治14年に、高知第一中学校分校として開学。一中は、県下の優秀な学生が通う名門。
で、3年後に廃校となり、その後、城山女子技芸学校、城山実業青年学校、と変遷。実技を磨く訓練学校としての趣きだ。
戦争が終わって昭和21年3月、高知県立城山中学校、高知県立高等女学校となりました。この2校、同じ敷地にあり、運営も共同で、教師も兼任でありました。しかし、男女席を同じゅうすることを潔しとせんかった訳だ。
それも2年間のこと。
昭和23年4月の学制改革で、その2校が統合して高知県立城山高校になりました。
現在、旧制城山中学や城山高女の卒業生は、かなり少ないことになっちゅうと思われます。たった2年間しか存在しなかった、学校。昭和21年に16才くらいとすると、現在は90才。貴重な貴重な卒業生。
ところで。
香南市の津波ハザードマップを見てみました。
なるほど。この須留田八幡宮の社殿がある位置も、そして城山高校のある場所も、来たるべき南海トラフ大地震津波の最悪想定でも、津波に襲われることはない、となっちゅう。境内の下や城山の下は、もちろん津波被災想定エリア。
最大級の津波に襲われた場合、両方とも、一時的には波に囲まれた島になります。が、ここへ避難した方々は、津波からは逃げることができる。
須留田八幡宮さんの、この場所は、古くからの地元の皆さんの経験と知恵によって、選ばれちゅうのでありましょうか。