刻まれてゆく歴史〔4638〕2015/12/27
2015年12月27日(日)晴れ!
良いお天気。
そんな訳で、昨日も飲みました。12:30から葉牡丹で飲み始め。13名の酪農家の皆さんと、楽しい忘年会。で、一次会終了後はもちろん「ひろめ市場」。土曜日の午後でしたが、運良く、やいろ亭さんの前のテーブル確保で、二次会に流れてきたのは7名。
で、飲みました。グッスリ。
一昨日の夜、安芸で日付が変わるまで一緒に飲みよったメンバーも、その中に2人含まれちょります。なんか、ずうっと飲みっぱなしの感覚。高知県人としての正しい在り方と言えましょう。
まあ、流石に、19:30頃には退散しました。今晩も飲まんといかんし。
今日は午前中、会社へ行っちょりました。で、立ち寄ったいつもの野市、上岡八幡宮さん。お正月を控え、静かな静かな八幡様。暖かい冬の日差しが、鎮守の森を包み込みます。
古いお宮さんには、古くからの人々の想いが受け継がれてきています。この写真は拝殿前から参道方向を撮影したもの。この風景の中にも、色んな時代の想いが写り込んじょります。
この玉垣。これは、大正13年に御寄進されたもの。今から91年前。弊社が創業した翌々年だ。
玉垣に囲まれる石灯篭は、明治25年御寄進。日清戦争が始まる前。今から123年前か。あの、選挙干渉で悪名高い第二回臨時総選挙が行われた年。保守派へ流れ過ぎると、そんなこんなも正当化していく、という代表的事例。
参道のとっと向こうには、微かに鳥居が見えます。嘉永四年に御寄進された鳥居。安政南海地震の3年前。つまり、安政地震を見届けた鳥居で、地震にも倒れんかったのでありますが、昭和20年の米軍機の攻撃で倒壊。補修の跡が残る鳥居。
御寄進されてから164年になります。ペリーが浦賀にやって来たのは、鳥居建立の2年後。なので、そろそろ世の中がきな臭くなってくる、そんな時代。
参道の手前。四角い祭壇が見えます。あの祭壇は弘化四年。1847年なので、168年前。
この写真に写り込んじゅうもので、一番古いものは。
実は、石段なんですね。写真下部に、石段の一番上の段が見えちょります。この石段は、恐らく文化十四年の御寄進。今から198年前だ。1817年。再来年で200年になる。
実は、この神社で一番古いものは、参道入り口脇に立つ石灯籠。文化九年と刻まれちょりますので、1812年。今から203年前。
1812年は、チャイコフスキーの作品でも有名なように、絶頂期のナポレオンがロシアに攻め込んで敗れた年。そこを境目にナポレオンの凋落が始まり、失脚後に復活するも100日天下でセントヘレナ島に流されたのが1815年、文化十二年。
この石段が寄進された時、ナポレオンは、セントヘレナ島で失意の晩年を送っていた、ということになりますな。石灯籠寄進の頃は絶頂で、それからわずか5年後。
話が逸れました。
とにかく、この風景には200年の歴史や人々の想いが刻み込まれちゅう、という訳です。そしてこれからも、人々の想いが刻み込まれつづけてゆくのでありましょう。
年の瀬。あたたかく静かな境内。