秀衡黄金街道檜峠〔4594〕2015/11/13
2015年11月13日(金)晴れ!
そんな訳で岩手県。
岩手県と申しましても、広い。
前回岩手に来たのは、昨年の3月でした。岩泉町。岩手県の北東部で、岩泉ヨーグルトで有名な岩泉乳業さんにお邪魔しちょりました。
今回は、岩泉とは盛岡を挟んで反対側の山奥、秋田との県境に近い西和賀町というところに来ちょります。西和賀と言うたちピンときませんが、湯田温泉郷のあるところ、と言えばわかるでしょうか。そこに、我らが同業の「湯田牛乳公社」さんがあります。
県と農協とが出資した第三セクターで、御多分に洩れず、非常に厳しい経営を余儀なくされておったのが、5年前から改革を始めて、現在はヨーグルトを中心に素敵な商品とマーケティングで息を吹き返し、岩手に湯田牛乳あり、ということで業界でも有名になってきちょります。我々にとっても、非常に勉強になる訪問となりました。
岩手県は、酪農家戸数で言うと北海道に次いで全国2位。飼養頭数全国4位、総乳量全国6位という酪農県。今もたくさんの乳業が存在し、それぞれ、特徴を生かして頑張ろうとしております。いや〜、勉強になりました。
で、泊まったのは、湯田牛乳から谷筋をさかのぼっていった湯川温泉という温泉郷にある旅館。
それにしても、寒い。
高知では、まだ、最低気温が16℃とかいう世界なのに、今朝の最低気温は0℃に近い。何もない温泉郷は、いかにも東北らしいたたずまいを見せておりました。
朝5時に起き出して外へ出ると、まだ、真っ暗。空には満点の星。
谷筋を上って行けば、秋田県がしゅっとそこに見える峠に行けるにかあらん。しかし、やめちょきました。真っ暗な、全然知らない狭い道を山の方へ上っていくのは、ちと、勇気が要る。で、反対方向に少し下ってみました。すると、道路から分岐して登っていく道路が。その入り口に、説明板がありました。
「黄金の道 秀衡街道」と書いてある。なるほど。
現在、盛岡の南の北上市から秋田県の横手市へ、秋田自動車道が通っております。そのルートは、かつて栄華を誇った平泉藤原三代の時代から栄えた街道。金山が周辺に多かったこともあって「黄金の道」とも呼ばれたとか。
その道は、今はほとんどが山道となって車は通れないが、一部、車道でかつてのルートを通れるようになっちょりました。よし、そこを駆け上がってみよう。
ぼっちり、少し明るくなってきました。急坂をどんどんどんどん駆け上がる。結構走ってたどり着いたのが、ここ。「秀衡黄金街道檜峠」と書かれた標柱が屹立。ここから、向こうへと下っていきます。
この左手の山に、たくさんの金山があったのだと言う。
人がやっと通れる坑道「たぬき堀」が蜂の巣状に残る「赤倉鉱床緑青坑跡」とか、鷲之巣(風倉山秀衡堀」やら。金商吉次の隠し金山と言われる安久登沢の金山も、ここにあったんだ。義経が奥州へ下るのを手助けした、という、あの金売り吉次の金山伝説か。面白い。
岩手と秋田の県境近い山中、標高500m。当然、紅葉はとっくの昔に終わって冬枯れの山。それでも、なんか、東北らしい大きく深い山の風景が、高知県人の小生には新鮮でした。
街道の登り口に「熊に注意」の看板もありました。
この秀衡街道は、普段、ほとんど車も人も遠おらない道。熊でも出てきたら、ちょっと、嫌だ。
で、再び秀衡街道を引き返して湯川へ下りました。東北早朝9kmラン。標高差は200mちょっとでした。手袋も準備しちょらんかったので、シビ凍った手を、熱い温泉につばけたら痛かったです。
でも、良いお風呂でした。
温泉からあがって新聞「岩手日報」を広げると、一面トップのニュースが、県内のりんご園で12,000個のりんごが盗まれた、という記事でした。
ああ。岩手だ。岩手県に来ちゅうことを実感する、一面トップの大きな記事。
日本は広い。いろんな素敵な場所があって、色んな取り組みがあって、本当に楽しい。
走っても、何も無いなあ、と思っておった早朝ランですが、実に面白かったです。
良い朝、岩手。