銭湯とネット〔4583〕2015/11/02
2015年11月2日(月)雨
久々の雨の朝。秋雨が静かに降り続いております。ここは堀詰の南。中島町の通り。高知商工会館の前から、東の方向を撮影してみました。
中島町の通りは、ここで少し右に折れて、黄色い信号方向へと延びてゆきますが、左にはまっすぐの道も。その、二つの道に挟まれた角。確か、そこに、銭湯がありました。
南与力町に住んだ小学生の頃、銭湯に行くといえば、基本的に、そこの銭湯でした。たまにモデル湯。天神湯は、ほとんど行ったこと、ありません。
昨日のにっこりに、その角の銭湯を「角湯」と書いてしまいましたが、間違うちょります。「角湯」は、梅ノ辻の近くに、割合近年まであった銭湯。ここが角なので、妙に勘違いしちょりました。このお風呂屋さん、何という名前か、覚えちょりません。
しかし、昨日、名前を覚えちょらんと書いた中野区上高田2丁目の銭湯、わかりました。池の湯。そうだ、池の湯。
今はネットで色々と調べれるので、2008年5月に廃業したことまでわかりました。いくつかの入浴レポートがネット上にありまして、小生が入りよった頃からは改装されちょったことも判明。入り口が「フロント式」になっちょったようだ。
小生が利用しよった頃はもちろん「番台」。おんちゃんが番台に座ったりしよりましたので、女性にはちくと抵抗があったのかも知れない。あのおんちゃんが羨ましかった学生時代。
その「池の湯」の入浴レポートを検索してみると、ネット上で一番古いのは1998年5月のものでした。もう、17年も前のレポート。しかし、小生が入浴に行きよった頃から言えば17年くらい後のもの。なるほど。
しかしあれですね、インターネット。今はスマホとかが主流ですが、パソコンでインターネットなるものを普通に使い出して、どれっぱあ経つのでしょうか。
小生が会社でパソコンを使い始めた頃のOSはウィンドウズ3.1。MS-DOSのコマンドも知っちょりますぞね。ニフティサーブとかPC-VANとかのパソコン通信をやりゆう友人がポツポツ居た、そんな時代。
今も継続しゆう「こうち情報倶楽部」という勉強会で、そのメンバーである高知大学の先生が、インターネットなるものを説明して下さり、その先生が始めたインターネットなるものを見せて頂いて衝撃を受けたのは、もう、何年前になるんだろうか。自分としては、ついこないだ、みたいに感じちゅうのでありますが。
その後、その使用方法やハードの進化は凄まじく、今の若者は、スマホの無い時代などというものは想像できんかも知れない。この勢いでいくと、あと10年経ったらどうなっちゅうことやら。
このにっこりひまわりを始めたのが2003年4月。今から12年前。当時は「ブログ」という言葉もなく、「ネット上の日記」のように呼んでおった、そんな時代。
インターネットが流行語大賞に選ばれたのが1995年。小生も、割合に早く始めた方だとは思うが、現在のようになるとは予想もできんかったですな。いや、まっこと。
1995年から言うと、20年。その間に蓄積された情報が、今、検索で見れよります。なので、1998年の池の湯レポートや、その池の湯が2008年5月に廃業したことを知ることができる訳だが、まだ、20年くらいの蓄積で、現在の状況だ。つまり、これから年月が経過するに従い、その蓄積される情報量は等比級数的に増えて行く訳です。益々、検索という機能のアルゴリズムが大切になってくる訳で、Googleはしばらく無敵やと思われます。
銭湯の話からネット社会の話になってしまいました。月曜の朝っぱらから。
雨だと、部屋の中が静かなので、このようなヤチもないことを徒然考えてしまう。平和な朝。