御祭神「未詳」〔4579〕2015/10/29
2015年10月29日(木)快晴!
今日も良いお天気。
今朝は、布師田のぢばさんセンターに用事がありましたので、一宮の土佐神社さんにお参りしてきました。土佐一ノ宮、土佐神社。このところ神社ネタが続きますが、今日も神社ネタでいってみましょう。
土佐神社さんには、いくつかの境内社が鎮座まします。入蜻蛉形式で有名な本殿、幣殿、拝殿のある立派な建物が中央に。拝殿に向かって右側には、輪抜け様と、厳島神社。弁天様。
拝殿に向かって左手に進めば、3つのお社が並びます。
その中央に鎮座ましますのが西御前神社。向かって右奥が大国主神社で、左奥が事代主神社。大黒様や、事代主はわかりますが、西御前神社とは。
写真にもありますように、御祭神は「未詳」とあります。家庭円満の神様なんですが、神様は「未詳」。
日本の神社には、このように、御祭神が未詳とか不詳とかいうケース、結構あります。神様を尊崇することが宗教であるとするならば、なんの神様かわからない神様を祀っちゅう、というのは、果たして宗教なのか?という疑問がわいて来るではありませんか。これが日本の神道の不思議なところ。神道は宗教ではない、という説も、こんなところから発生したと思われます。
しかし、神様を尊崇し、神の前で自分を律し、心持ちを厳粛に整える、という意味での宗教観から言いますれば、神様は誰であっても、それは宗教なのかも知れない。誰かわからなくても、尊崇する気持ち。これはやはり宗教である、と、小生なんぞは思うたりします。
そもそも。
この土佐神社さん、土佐一ノ宮である土佐神社さんの御祭神が、実はハッキリしちょりません。鳥居脇の由緒書きを見ると、味鋤高彦根神となっちょります。アジスキタカヒコネの神。賀茂氏の祖とされる神様。「土佐国風土記」逸文には「郡家の西に去ること四里に高賀茂の大社あり。其の神の御名を一言主尊と為す。其の御祖は詳らかならず。一説に曰へらく、大穴六道尊の御子、味鋤高彦根なりといへり。」。
もう、大昔から、御祭神がはっきりしちょらんのですな。
797年、つまり平安京に都が遷ったばっかしの頃に成立した「続日本紀」には、雄略天皇が一言主神と猟を争い、怒った雄略天皇が一言主神を土佐へ流した、という話が出てくるそうだ。一言主神は、高鴨神と同じ、とされちょります。賀茂氏の祖。で、賀茂氏の祖先神であることが判ったので、土佐から呼び返し、大和葛上郡に迎えられた、ということになっちょります。
そんなこんなで、土佐神社の御祭神は、一言主神とか味鋤高彦根神とか、言われるわけです。
その神様がやってくる前は、土左大神が、土左国造家によって祀られちょったということを示唆する文章が、日本書紀に。
この土佐神社界隈には古墳もあります。
つまり、古くから有力者が住んだ地区で、その地元で、なにがしかの神様が祀られ、尊崇されておった。そこに、都の有力勢力、賀茂一族が何らかの理由で土佐にやって来た。天皇家との諍いがあったのかも知れない。で、地元の有力者に取って代わって権力を握り、支配するようになった、というストーリーが、なんとなく妄想されるではありませんか。全然違うかも知れんですが。
ともあれ、御祭神「未詳」は、日本の神社では、何の不都合も生じさせないのでありました。
皆さんも、神社へお参りして、そこが何という神様をお祀りしちゅうなどということ、あんまし考えませんよね。神様は神様。大自然の力。法則。いや、摂理か。立派な宗教だ、これは。