取り壊される市役所本庁舎、期待される発掘調査〔4551〕2015/10/01
2015年10月1日(木)雨
今日から10月。ですが、よう降ります。しっかりした雨脚。朝から降り続く、雨。
今朝の高新に、「高知市本庁舎にお別れ」という記事が載っちょりました。昭和33年(1958年)、氏原市長の時に完成したという、高知市役所本庁舎。小生よりも年上なんだ。当時としてはモダンな設計の高知市役所も、耐震構造は弱く、老朽化も進んでおります。で、今回、同じ場所に新庁舎を建てることになりました。
昨日、閉庁式が行われたとのこと。57年間、愛着を持って使われてきた高知市役所本庁舎も、もう、取り壊されます。新しい庁舎が完成するのは2018年度中の予定。世の中、こんな感じなので予定通りできるかどうかは知りませんが。
で、こじゃんと期待するのは、埋蔵文化愛発掘調査。
この場所、この庁舎ができる前も、高知市役所でした。そして、藩政期後期には、山内の殿様の「東御屋敷」。市民図書館の辺りが「西御屋敷」。殿様本家の御屋敷。
その前を見ると厩という時期もあり、その前は、酒井山内家の広大な御屋敷。
寛文九年(1669年)の絵図では、酒井山内家のご当主、山内織部の名前があります。織部の父は山内下総豊吉。以前にも書きましたが、野中兼山を失脚させたグループの中心人物で、兼山失脚後、出世して藩政の中心を担うようになりました。
なので、この市役所を取り壊して発掘すると、山内家関係の遺物がかなり出てきそうな予感マンマン。この建物が建てられた昭和33年頃は、高度成長期が始まった頃。なので、文化財保護とかの考え方は非常に希薄やった時代。なので、建設中に重要なものが出土しても、気にせんづくとに作業を進めた可能性が高い。そういった訳で、藩政期の、山内家関係の埋蔵文化財に期待しちゅう訳だ。
そして。
一番期待しちゅうのが、その前の時代の遺物。戦国期、そしてその前の中世。
高知城の山、大高坂山には、中世、大高坂氏が豪族として盤踞しちょったことはわかっちょります。古代には海であった高知の市街地は、中世を通じて湿地帯から陸地となり、徐々に人々が住み始めた。大高坂山の南側は、早くから灌漑が進んだかも知れない。大高坂氏を中心として都市が形成されていった、その重要な過程が、この市役所本庁舎跡地発掘調査で出てくるかも知れん訳です。
雨の市役所本庁舎。もう、間もなく取り壊される本庁舎。
取り壊され、新しい庁舎ができる前の、その瞬間に、ここで中世の風景を垣間見ることができるかも知れない。ちょっと、ワクワクする風景。