真夏の日本海を知っていますか・・〔4483〕2015/07/25
2015年7月25日(土)晴れ!
やっと晴れました。高知も梅雨明けしたとのこと。一昨日から高知を出ちょりますので、聞いた話ですが。やっと、我が高知も夏になったにかありません。待ちかねましたぞね。
昨日の朝は小郡でした。新山口駅界隈をたつくり、種田山頭火さんが住んだ其中庵の井戸をご紹介しちょります。で、昨日の朝、新山口駅8:52発の特急スーパーおき2号というのに乗ってやって来ました、鳥取県。2両編成の特急スーパーおきは、どこがスーパーなのかは謎ですが、風光明媚な場所を走ります。津和野も美しい。日本海も美しい。宍道湖も美しい。米子駅まで4時間10分の旅は、鉄道好きには魅力的。その風景、情緒は、まぎれもなくスーパーでした。
そんな訳で、昨夜は米子泊まり。米子に泊まったら早朝ランはやっぱしここでしょう。皆生温泉。米子駅皆生温泉往復11kmランを、朝の5時半からぶちかましてきました。いや〜、暑い暑い。
皆生温泉の海岸には、幾度も走ってきちょります。米子駅近くに泊まったら、ちょうど走るにボッチリばーの距離にありますきんね。
ところが。
皆生温泉の海岸に、いままで見たことのない風景が広がっておりました。海水浴場、海の家、貸し座敷などなど。こんなんができちゅうがや〜!
で、小生が過去に皆生温泉を訪れた時期を調べてみました。おう。真夏がない。
梅雨時期の6月とかには来たことありますが、海開きの後の7月8月、そして9月にも、走って来たことが無いことが判明。そうやったのか。立派な海の家とか貸座敷とかシャワーとかの施設は、毎年、しつらえられゆうがやと思います。迂闊にも、知りませんでした。
気持ち良い海に足をつばけて、伯耆大山をバックに、撮影してみました。大山は小生の身体に隠れちょりますが・・
波打ち際を歩いておりますと、足元に可愛らしいイトマキヒトデ。テトラと堤防に守られたビーチは波も静かで、小さいお子さんでも安心して遊べる海水浴場になっちょりました。ああ。泳ぎたい。
以前にも書きましたが、この海岸は、数奇な歴史を持つ海岸。江戸時代、日野川上流で砂金を採取する事業が大々的に行われ、その「かんな流し」という作業によって大量の砂が流れ出て、この、皆生温泉界隈に広大な砂地の土地ができあがっていった、と言います。自然の営みもすごいが、人間の行動の影響力もすごい。
で、大正の終わり頃に「かんな流し」も行われんなり、こんどは砂浜の侵食が急激に進み始めたのでありました。
その頃は、丁度、皆生温泉の開発が進み始めた時期。現在は海になっちゅう場所にあった温泉施設の写真を、この海岸の説明板で見ることができます。
その後、離岸堤をうまく構築することで、砂浜の侵食を食い止めることができ、現在の美しい浜が形成された、と書かれちょります。
その離岸堤のおかげで、内側が静かな浜辺となったのでありましょう。そこには、夏になると海の家が立ち、海水浴客で賑わうのでありました。迂闊にも知りませんでしたが。
なんか、懐かしくなるような、夏の海辺の風景。