其中庵の井戸〔4482〕2015/07/24
2015年7月24日(金)薄曇り
そんな訳で今朝は山口県。業界の寄り合い。中四国ブロック会議。このブロック会議は、山口、広島、岡山、高知の4県持ち回りで開催されます。昨年は高知が当番でございました。4年に一度。と、言う訳で、山口県にも4年に一度、お邪魔することになる訳だ。
前回、2011年の寄り合いも、新山口駅前でやりました。その時のにっこりひまわりは、小郡駅が新山口駅になった話などを書いちょりますな。
その前、2007年の寄り合いは下関。関門海峡人道トンネルで、山口県と福岡県の県境を跨ぐ風景を撮影しちょります。ああ。そんなこともありました。
で、今回は新山口。つまり小郡。
前回、駅前の種田山頭火さんの像のことを書きましたが、当時は山頭火さんのこと、全然知りませんでした。自由律の俳句にも興味なし。
ところが。
小豆島で尾崎放哉記念館の南郷庵に行き、尾崎放哉や、種田山頭火の生き様と句について知り得たことから、ちくと興味を持つようになってしまいました。
山頭火さんの「行乞記」は、いっつも車に積んじょります。
自由律俳句は、とても難しい。言葉の難しさ、センスの大切さもありますが、それを詠んだ人の境遇や感情などがとても大切。そんな意味で、放哉と山頭火は、誰も越えられない自由律俳句の巨人と言えるでしょうか。
この小郡では、山頭火さんの句をたくさん見かけます。街のあちこち。
前回も書いたように、山頭火さん、昭和7年から昭和13年まで、50歳から56歳までの期間、知人が世話をしてくれて結んだ庵、其中庵で暮らしました。小郡駅ぢゃなかった、新山口駅から北へ1kmちょっとの小高い山裾。
其中庵が老朽化したので、お隣の湯田温泉に引っ越し、四国へ渡って土佐などをまわった後、松山で結んだ庵、「一草庵」で昭和15年に亡くなります。思い通りの「コロリ往生」。友人達に囲まれ、幸せな終末を送っておられます。
それに比べると放哉は、その酒癖の悪さが災いし、かなり悲惨な晩年を過ごしておりますね。だからこそ、句に、放哉にしか表現できない哀しさが溢れるのですが。
「咳をしても一人」
山頭火も、熊本で酔っ払い、路面電車の前に立ちはだかって電車を止める事件などを起こしちょります。酒での失敗は数知れず。
そして一ところに定住できない。そんな山頭火が6年も住んだのが、ここ、小郡の其中庵なんですね。丁度、小生の年頃に。
駅から其中庵で向かう途中、道標に、山頭火の句。
「この柿の木が庵らしくする あるじとして」
放浪の詩人ですが、腰を落ち着けたい感情も交錯する。そんな感情がわかる句。
他の道標には
「誰も来ない 茶の花が散ります」
山を愛し、寂しがり屋の山頭火。
其中庵には、寝牛の碑、という句碑があります。山頭火没後10年、友人たちによって建てられた句碑。句を選んだのは荻原井泉水。放哉の東大の先輩で、山頭火の師匠でもある、自由律俳句の先駆者。
「春風の鉢の子一つ」
この句は、小郡の街中のマンホールの蓋にも刻まれちょりました。
山頭火さんが愛したのは、おいしい水。行乞記を読むと、山で、里で、甘露のような水を飲んだ話が再々出てきます。
この場所に庵を結んだ理由の一つが、この界隈が、とても良い水が湧くから。
今朝の写真。其中庵脇のこの井戸。山頭火の生活を支えた、井戸。
其中庵で詠んだ句に、こんなのがあります。
「やっと戻ってきてうちの水音」
「朝月あかるい水で米とぐ」
「いま汲んできた水にもう柿落葉」
山頭火と水で思い出すのが、高知県の、現在の池川町で詠んだ、この句。
「山のよろしさ 水のよろしさ 人のよろしさ」
今度、お菓子の浜幸さんが、この句にちなんだお菓子を作るそうです。楽しみ楽しみ。