えいでん、元田中駅の標準軌〔4476〕2015/07/18
2015年7月18日(土)雨どすえ
そんな訳で、今朝も京都。昨日からずっと、しっかりした雨脚で、今朝も結構降っております。京都でも、山の方では大雨が降ったようで、電車のダイヤにも乱れが出ております。
関西のJR線は、大阪環状線、学研都市線、奈良線をはじめとして軒並み運休。
昨夜は元田中という叡山電車の駅の近くに泊まっちょっりました。で、元田中から叡山電車で出町柳。出町柳から京阪電車で東福寺、東福寺からJR奈良線で京都駅、というつもりでした。京阪の車内でJR奈良線も台風で運休、というアナウンスがあったので、急遽三条京阪で下車、地下鉄に乗り換えて京都駅までやって来ました。
さて。
ここは叡山電鉄叡山本線、元田中駅。出町柳から一つ目。朝、6時前の雨の元田中駅に、10分ほど遅れて到着した出町柳行き電車。
叡山電車。今は、京阪電鉄の完全子会社だそうです。紅葉の時期とかの、夜間ライトアップ走行、それはそれは美しいそうで、大人気と聞きました。
この写真ではわかりにくいかも知れませんが、標準軌。線路幅1435mm。日本では「広軌」とも呼ばれておった、新幹線と同じ幅の線路で、国際的にはこの広さが標準軌。
日本では、JRを始め、関東の多くの私鉄から土佐電鉄に至るまで、幅1067mmの狭軌が一般的なんですね。高知に住んでおりますと、土電やJRの線路しか見ませんので、この標準軌の線路を見ると、うんと広うに感じます。
小生は学生時代、東京の西武新宿線沿いに住んでおりましたが、あれも狭軌でした。関東の私鉄には狭軌が多い。しかし、関西。関西の私鉄には標準軌が多いんでありますね。
明治の初め、日本で鉄道事業が始まった際。外国人の適当な意見を大隈重信が適当に聞いて、基本、日本の鉄道は狭軌に決まった、と、ウィキに書いちゃあります。真相は知りません。
で、標準軌と狭軌では、その輸送力やスピードに明らかに差がある、ということで、どっかの時点で標準軌にしよう、という論争がずうっと行われて来たんでありますね。
今ある路線を、まず、標準軌にして、それから路線を延ばしていこう、という論者と、いや、路線を延ばすのが日本の為に必要で、山間部、起伏の富んだ地形の多い日本では狭軌が有利である、という論者が、激烈な論争を繰り広げたんでありますね。
結局のところ、狭軌でいく、ということが決まった訳だ。
現在から振り返ると、やはり、早い段階で標準軌にしちょったら良かったのではないか、という議論もあります。そうかも知れない。しかしそうでないかも知れない、と考えてしまうんであります。
何故か。
土讃線を利用する我々には、狭軌で路線を伸ばそう、という考え方がよく理解できるから。
土讃線、高知と阿波池田、そして瀬戸内との間が開通したのが昭和10年。それ以降、新たにトンネルが掘られたりして改善整備はされてきました。それでも、まあ、よくこんなところに、という場所に線路が引かれちょります。使われんなった旧線部分をたつくってみた小生としては、そのことが、ホントによく解るんでありますね。よくこんな場所に鉄道を引いたもんだ、と。
もし、明治期に標準軌となっていたら。
高知へ鉄道が通されるのは、もっともっと遅くなっていたかも知れない。高知にとっては狭軌で良かったのかも知れない訳です。
それはともかく関西私鉄の標準軌。
関西の私鉄は、路面電車がその発祥であるケースが多い。で、路面電車には、線路幅の規定がなかったので、最初から標準軌で建設されていった、という話があります。
昭和34年に大被害をもたらした伊勢湾台風。その大被害の際、近鉄の社長が、これを機会に標準軌にしよう、と大英断を下したので近鉄は標準軌になった、という話を、以前に経営セミナーで何度か聞いたことがありました。経営者には、臨機応変で先を見通した決断が必要だ、という例として。
これ、真相はそうやないんだそうですね。
元々、接続などの利便性を考えて、標準軌に切り替える準備をしておった。そこに台風被害があったので、少し前倒しした、ということにかありません。
通説、風説と真相。ネット社会の現在は、よほど注意しちょかんと危ないことになります。