道祖神と早乙女てがい〔4431〕2015/06/03
2015年6月3日(水)雨
昨日、九州南部は梅雨入りしたにかありません。高知も昨夜から雨ですが、この後、明日までは晴れる予報になっちょります。まあ、いずれにしましても、もうまあ梅雨入り。そんな季節になりました。6月ですきんね。早いもんだ。まっこと。
写真は、会社の近所。雨に濡れる道祖神。南国市や野市の集落、田畑には、古い古いものが多く、区画整理や灌漑工事が進んでインフラが変化してきても、昔からの風習が色濃く残っちょったりします。屋敷墓形式が残る、つまり、家のネキに一族の墓所がある、という集落もありまして、古い文化、習俗がたくさん見られるのであります。
この道祖神。今は、このようにコンクリートの台座の上に鎮座まします。この、コンクリート擁壁工事の際に、そうされたのでしょう。それ以前から、畑の隅にお祀りされちょったことは想像に難くありません。この下側にはコンクリート三面張りの用水路。豊かな量の水が、音を立てながら流れています。道祖神は、生命の力、豊穣を祈る神様。今は三面張りですが、ここには昔から水路が引かれ、田畑を潤してきたでしょう。畑と水路の境目の道祖神。豊穣への、人々の想いが伝わってきます。
土佐の田んぼには、今でもよく「おさばい様」を見かけます。田んぼの畦とか、取水口界隈で、田植えの際にお祀りする「おさばい様」。もちろん豊作祈願。
おさばい様を祀ると、おさばい様が降りてきます。で、豊作を保証してくれる。そして、稲刈りの後、感謝しながらお送りする。おさばい様。
常時居て欲しい、ということで、常設の祠を置いたりする場合もあります。
それとは別に、田んぼの真ん中に、土盛りをしたりして何かお祀りしちゅうケースも、かなり多く見られます。これは、その地で亡くなった人を埋葬し、お祀りしちゅうケースと言われます。今は田んぼの作業も機械がやりますので、真ん中に土盛りなどがあったら、結構マギる。マギるけんど、大切な大切な、昔から残し、お祀りしてきたものなので、もちろん無碍にはできない。ここにも人々の気持ちが宿っちょります。
ところで、高知新聞社発刊の「高知県百科事典」というのを読みよりますと、「おさばい様」の「さ」について、面白いことが書いちゃありました。
「さ」の神は、稲の神霊、という説。なるほど。
「五月(さつき)」「五月雨(さみだれ)」「早乙女(さおとめ)」。
田植えに関係する言葉には、「さ」がつく、という話。なるほど。日本語というのは、なかなかに奥が深い。
五月と書いて「さつき」と読む。これ、日本書紀からそうなんだそうです。で、「さ」は田植えを意味し、田植えの月なので、さつき。「さ」は、稲の神霊であったり田植えそのものを意味したりする訳だ。
ちなみに、今日は6月3日ですが、旧暦では4月17日。旧暦で5月は、今月の中旬から始まります。6月の終わり頃に田植え。これが、日本古来の標準であった訳だ。高知では、極早生のお米の稲刈りを7月にやりますけんどね。
田植えは、かつては女性の仕事で、女性が一列に並んで、田植え歌を賑やかに歌いながら田植えをした、というような話がたくさん残ります。しんどい仕事を、少しでも楽しく、という知恵かも知れません。そんな田植えの女性が早乙女。「さ」の「乙女」。
で、上記の「高知県百科事典」に「早乙女てがい」という項目が立てられちょりました。
「田植えの最中に、早乙女たちが見物の男や通りすがりの男に泥を塗りつける習俗」、とあります。ほう。長浜、若宮八幡宮さんのどろんこ祭りだ。この習俗は、安芸郡、香美郡、吾川郡、高岡郡に広がるものであった、とのこと。いっぱいあったのか。
室戸の室津八幡宮では、頭屋の田んぼの中に4本の榊を立ててしめ縄を張り、その中で早乙女たちが賑やかに田植え歌を歌いながら田植え。そして、頃合いを見計らい、田んぼを飛び出して見物の男や道行く男、果ては人家にまで押しかけて、男どもに田んぼの泥を塗る。塗られた男は、悪魔除けのまじないとして、喜ぶ。そんな習俗。
同じ室戸の佐喜浜では、泥を塗られた男は、その早乙女の夫にならんといかん、という言い伝えもあるとか。
この、田植えの泥を塗る神事の起源は、「男女の交合と懐妊を稲の生産の象徴とみ、その媒体を稲作の母胎である田の泥に求めた古代の田の神祭りの痕跡である」とも言われるそう。
生産の象徴と、豊穣。
道祖神を祀る心と通じる、「早乙女てがい」。