武市半平太、野中兼山、仁義、至誠、矜持〔4429〕2015/06/01
2015年6月1日(月)良いお天気
昨日は武市半平太のことを書きましたが、まだまだ書き足りんですね。
幕末、何故、彼があれほどまでに人望を集めたのか。ただの人物ではない。最初は剣術を教える道場主として、その後は土佐勤王党首領として、土佐の大勢の若者を引きつけた武市半平太。
その真っ直ぐさは、生まれつきのものであったでしょうか、意識してのものであったでしょうか。
あまりにも有名な、獄中から妻の富さんに送った獄中自画像と漢詩。
花依清香愛
人以仁義榮
幽囚何可恥
只有赤心明
この、花は清香によって愛され、人は仁義をもって栄える、というくだり。とんでもなくインパクトのある、強烈な言葉。真っ直ぐ前を見据えた自画像にこの漢詩が添えられている、その意味。
仁義を極めることを信条とし、その真っ直ぐさ、廉直さに、多くの若者が感銘してついてきたのでしょうか。たぶんそれだけではない。人間の大きさ、熱意、論理性、そして優しさなど、様々な心根が、人々を惹きつけたのであると思われます。
その至誠は、西郷南洲に匹敵する、と、薩長の志士たちからも高い評価を得ておった、半平太。久坂玄瑞などは、人物としては西郷吉之助よりも上である、と言い切っております。まあ、桁違いの人物であったことは間違いない。でないと、あんなにたくさんの人々に慕われた訳がない。
とにかく、一度、お逢いしてみたい人物であります。
切腹してから150年ということで、昨日のあの瑞山記念館の前にたくさんの人々が集まり、墓前祭をやった、と、こないだの高知新聞に載っちょりました。
さて。
写真は、今朝の野市、父養寺。あじさい街道の様子を見に行ってきました。まだちょっと早い。たぶん今週末が一番の見頃になると思われるあじさい街道。野中兼山先生が開削した幾筋もの用水のうち、上井川の下の土手に植えられた夥しいあじさい。
高知県内のあじさい名所には、野中兼山さんが開削した水路沿いのものが多いのでありますが、ボリューム感で言えば、ここ、父養寺が一番。土手が厚いので。
地理院地図で見てみますと、このあじさいの上を流れる水路、上井川の標高が約30m。ここから洪積台地を上がった上の、山裾の道路が標高42m。10m以上の段差。
そして、この土手の下の道路。ここが27m。
この、約3mの段差の土手に、ものすごい数のあじさいが植えられて色とりどり、という訳だ。
ちなみにこの土手上の上井川、こっから1.2km上流へ行った物部川の町田堰から引かれてきちょります。町田堰取水地点での標高が31m。この場所が30m。こっから1.5km下った三叉のところで、28m。3km近く下ってきて、落差は3m。
藩政期初期に、こんな工事をあちこちで平然と行うちゅうのが、野中兼山のすごいところ。野中兼山も、また、信念の人であり、矜持の人でありました。