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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

便利さとデメリット〔4425〕2015/05/28

便利さとデメリット

2015年5月28日(木)晴れ!

今日は高知。昨日、成田から高松へ飛んで業界の寄合。夕方は坂出市にある弊社西日本事業部にて打ち合わせ。で、夜、車を運転してモンてきました。なんか、久々の高知みたいな気がします。それにしても暑い日が続きます。素晴らしい。

さて。
昨日、成田空港の話を書きました。で、土地を接収された方々の氏名を刻んだ顕彰碑が、第2ターミナルと第3ターミナルをつなぐ連絡通路脇にあることもご紹介しました。
成田空港、つまり新東京国際空港には、今も、その空港内の滑走路脇に、空港反対派が持つ土地が飛び地で残り、反対運動が続いております。この問題の難しさ。最初のボタンの掛け違えから、捩れに捻れてこんなことになってしもうちょります。
空港という施設は、広大な土地を必要とし、その上、地元には何のメリットもなく、騒音などのデメリットが大きい。建設するには、様々な知恵と工夫と説得が必要になるのでありますね。

ここは今朝の高知空港、滑走路の北西端。ここまで空港の滑走路が延びたのは、2004年のこと。2500m滑走路が完成して。それ以前は2000m滑走路で、北西端は、もうちょっと南東にありました。
その2000m滑走路が完成したのが1983年。昭和58年。小生が大学を卒業する直前。なので、それまでYS-11で東京高知を行き来しておりましたが、初めてジェット機で帰ってきたのを鮮明に覚えちょります。

その2000m滑走路ができるまでは、ジェット機の離着陸ができない1200m滑走路。今、Wikipediaで高知空港の項目を見ると、1975年当時の空中写真が見れます。もちろん地理院地図のアーカイブで、戦後すぐから現在までの航空写真の変遷も見れます。
その、1975年の航空写真を見ると、この空港は、滑走路を底辺とした直角二等辺三角形につくられちゅうことが一目瞭然。
これは、太平洋戦争が始まる直前の昭和16年、海軍が建設した飛行場の形状をそのまま移行してきたもの。海軍は、その強権で、土地の区画とか地形とかに関係なく、地図に三角定規で直線を引いて、建設したに違いありません。この航空写真でよくわかります。

当時は、軍のやることですき、反対も何もできない。優良農地もクソもない、津波から人々を救うてきた命山もクソもない、一気に、朝鮮人労働者も使って、飛行場をつくってしまったと言います。そんな時代。

戦争が終わって、飛行場はともかく、広大な軍関連施設の場所は農地として戻してもらえると思うた地元の皆さんでしたが、結局、大学や工専ができて、そんな願いも叶えられなかった、という歴史が碑になって残っちゅうのを、こないだもご紹介しました。

で、戦後復興が進み、高度成長を迎え、1200m滑走路ではジェット機も飛べない、ということで2000mへの拡張が決定しました。
それにより、また、かなりの農地が接収される。ジェット機による騒音も懸念される。ということで、地元での反対運動が繰り広げられました。
小生、中学校で数学を習うた名物先生、K先生も、ここが地元で、反対運動に関わっておられたことを思い出しました。

空港建設の難しさ。
成田の反省でしょうか。その後建設された関空も、セントレアも、土地の接収が発生しない海の上に作られました。漁業権の問題はありますが、土地問題に比べたら、まだ、なんとかなると思うたのでありましょう。
羽田空港も、ビッグバードは、海の上につくられちょりますね。
高知空港も、南東方向の海に向こうて延伸する、という選択肢はなかったのでしょうか。いや、ここは物部の河口で、太平洋の荒波が打ち寄せる海岸。それは無理であったでしょうな、最初から。

今度のリニア新幹線もそうですが、便利になる一方、多大な犠牲を強いられる人々が居る、ということを肝に銘じておかんといかんですね。便利と引き換えの、デメリット。そんな側面に想いを馳せることの大切さ。


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