満開の桜〔4368〕2015/04/01
2015年4月1日(水)小雨
櫻の樹の下には屍体が埋まってゐる
梶井基次郎の小説の冒頭部分。夜の闇に白く浮かび上がる桜には、そんなイメージがある気もします。
日本人に、桜と死とを結び付けて考える文化が芽生えたのは、いつの頃からでありましょうか。
桜と、日本人の死生観、武士道みたいなものを結びつけ出したのは、本居宣長頃から、と言われております。そして明治になり、桜が散る美学を潔さと結びつけていくようになったと言います。
軍歌にも歌われ、戦闘機の名前にも使用された、桜。
桜の下、ということで言えば、このにっこりでも何度かご紹介したことのある西行法師の和歌。
願わくば 花の下にて春死なむ その如月の 望月のころ
平安時代末期の、革新的歌人、西行法師は、この歌を詠んで、そしてその通り、春爛漫の満月の桜の頃に亡くなりました。この余りにも有名な歌のおかげで、平安の頃から、桜と死は深く結びつけられておったかのように思うてしまいます。しかし、桜は、その美しさから、女性のイメージで古くから貴族を中心に受け入れられ、愛されてきた、と思われます。
介良の朝峯神社さんの御祭神、木之花咲耶姫は、桜の花の神様であるにかありません。
ところで。
万葉集には、梅を詠んだ歌が約120首であるのに比して、桜は40首しかないことから、平安以前、天平の頃は、日本で花、と言えば梅であり、桜はマイナーであった、という通説があります。小生も、ぼんやりと、そう思いよりました。ぼんやりぼんやり。
しかし。
梅の花が文学に出現するのは、実は、万葉のその時期だけに集中しちゅうとのことです。その頃、中国から梅がたくさん導入され、中国文化の影響で、梅の歌が多く詠まれたのではないか、という話。
桜は、万葉集以前の日本書紀にも出てきます。万葉集での歌われ方を見ても、やはり、往古の昔からずうっと、万人に愛されておったのは桜である、と言えるかも知れません。
因みに、万葉集に一番多く出現する花は、萩。140首。
春は桜、秋は萩、という、日本人の好きな構図が見えてくるではありませんか。
ここは、小雨に濡れる野市、上岡八幡宮さん。拝殿前の石段から撮影してみました。闇に浮かび上がる美しい桜。日本の、緑豊かな風景には、華やかな桜がよく似合います。
今日から4月。桜満開。春爛漫。暖かい春雨が、風景を美しく濡らす4月1日。今日から新入社員や新入生になる皆さん、頑張りましょうね~。