浦戸解析谷と仏像構造線〔4363〕2015/03/27
2015年3月27日(金)快晴!
今朝は高知。良いお天気です。
昨日は、あれから広島でお仕事を済ませ、夕刻の高速艇スーパージェトで松山へ戻って、夜遅く、車で高知へモンて来ました。広島は、今日から開幕するプロ野球の話題でもちきり。盛り上がっちょりますね〜。どこもかしこもカープグッズで溢れ、例年とは違う盛り上がりを見せちょります。
久々の優勝に期待がかかる、若手が躍動し、黒田が帰ってきたカープ。今年一番注目されちゅうチームとも言え、地元広島の熱気はすごいものがありますね。ぜひ、今年は、ズムスタで観戦したいものであります。
さて。昨日は、2万年前の瀬戸内海の風景を妄想してみましたので、今朝は浦戸湾。ここは、中の島のトン先。トン先から南の方角を撮影したのが、この写真。
正面に丸山台。その向こうに弘化台。
左右から、東孕と西孕の半島がせり出してきて、浦戸湾のくびれをつくっちょります。その間、とっと向こうに、仁井田の造船のクレーンが見えております。浦戸湾。
浦戸湾を挟んで左右に延びる連山。Googleマップで見ると、あの連山の北裾は、東西にまっすぐ、直線上に見えます。今まで、まったく気にもしちょらんかったですが、仏像構造線だ。断層。
仏像構造線から北側は秩父帯という地層で、2億年前くらいから形成されてきた付加帯。フリピン海プレートがユーラシアプレートに南海トラフで沈み込む際、陸地側のユーラシアプレートが盛り上がってできた地形。仏像構造線の南側が四万十帯で、白亜紀から第三紀に形成された付加帯。
え〜と。
つまり、宇津野トンネルとか鷲尾トンネルとか、荒倉トンネルとかの北側は秩父帯で、南側に抜けたら白亜紀の四万十帯、という訳だ。石灰岩とかを産出する地層は、北側の秩父帯に属しちょります。遠く、太平洋のとっと南でサンゴ礁とかを形成しちょった海が北上してきて南海トラフで沈み込み、陸側プレートに付加してできたのが石灰岩。
烏帽子山から車道を下ってきたところに「おおなろ園」があります。山の中の平坦なところを「なろ」と言いますが、あの「大奈路」、そしてそこから西へ下る直線上の谷。あれこそ仏像構造線な訳ですね。Googleマップで見たら一目瞭然。知りませんでした。
ただし。
山を形成する地層はそんな古いものですが、この高知平野などは、つい最近、1万年くらいの間に堆積してできた平野。山田、長岡、野市などの台地は、そのもうちょっと前の洪積世に堆積した洪積台地。ああ。だいぶわかってきたぞよ。
ここは鏡川河口。向こうに浦戸湾。
昨日も書いた、今から2万年ちょっと前の最終氷期。海水面は今より120mも低かった。高知平野界隈は、その前の時代に海底で堆積しちょった部分が陸地に。
この浦戸湾は、四国山地から流れ出る川によって侵食された谷となったのでありますね。海岸線は今よりだいぶ南。この浦戸の解析谷は、四国山地から滝のように下り、浦戸湾出口界隈で今より120mも低い位置を流れておったと言います。
もちろん、この中の島も丸山台も、地質時代でいえばごく最近、川が運んできた土砂の堆積でできたもの。2万数千年前、ここは、太平洋に向かう急坂を下る谷川が流れ、あの、仏像構造線の界隈は、狭く険しいものすごい渓谷になっちょったのかも知れません。
いや、ホントに素人なので、頓珍漢なことを書きゆうかも知れませんので気をつけてくださいね!
それにしてもすごい風景だ。
ややこしい話が続いて申し訳ございません。地学、興味ないですか?