宇佐、塚地峠、お遍路さん〔4357〕2015/03/21
2015年3月21日(土)薄曇り
お彼岸。春分の日。春らしい暖かいお彼岸になりました。
今日は高知。
午前中、宇佐から春野をたつくって来ました。どうしても行ってみたかったのが、ここ。塚地峠。
まず、バスに乗って宇佐へ。土佐市宇佐町。堺町からやと、バスで1時間近くかかる海辺の街、宇佐。ジョン万次郎は、宇佐の漁船に乗って出漁し遭難しました。
このにっこりひまわりでも、宇佐の真覚寺住職、井上静照さんの日記をビッシリご紹介してきました。南海地震が発生する度に、大きな津波に襲われる宇佐。
今日はですね、宇佐の街の西の、遊漁船のお店が並ぶ界隈でバスを下車し、堤防上を走って東進。途中から街中へと入って遍路道へ。以前に何度もご紹介した、安政南海地震の供養塔の横を抜けて、萩谷、そして塚地峠へ。
塚地峠は、四国八十八ヶ所霊場35番札所、清瀧寺から36番札所青龍寺に向かう途中にある峠、標高185m。宇佐の街と高岡の街の間にあります。今はこの峠の下を塚地トンネルが抜けております。
この道。遍路道。かつては宇佐と高岡を結ぶメインルートであり、宇佐に上がった鰹を運んだりした道。今も遍路道ということで結構整備されて歩きやすい道、塚地越え。
塚地峠に近い休憩所からの見晴らしが絶景とは聞いちょりました。なかなか良い道とも聞いちょりました。ので、一度走ってみたかった塚地越え。今日はそれを体感できて良かった良かった。
峠から1分ほど上がった場所に、このビューポイントがあります。思わず「おう!」と声を上げてしまう程の絶景。
この休憩所には、ご夫婦連れのお遍路さんと、おばちゃんお遍路さんが一人。ご夫婦は仙台から来られたということで、東日本大震災で大変であった話をされておりました。眼下には、南海地震津波で幾度も大被害を被ってきた宇佐の街。写真は、そんな震災のお話をされるご夫婦と宇佐の街。
少しお話をしてから、高岡方面へと駆け下りました。塚地トンネルの北口近くに下りてきます。
宇佐側もそうでしたが、塚地側も、山道に入っていく登り口の所に小さな墓石がたくさん。刻まれちゅう文字を読むと、もう、日本各地の住所が読めます。遍路塚。
お遍路の途中、この界隈で力尽きて亡くなられた方々のお墓。山の登り口のところに、とりわけたくさんございます。天明年間のものもあり、ホントに古くからお遍路が盛んに行われ、遍路途中に亡くなって埋葬された方々も多かったことがよくわかります。
遍路道は、そんな、独特の雰囲気を持った道。何百年もの人々の思いがこもり、受け継がれていきゆう道。遍路道。
山道から車道に出て、塚地から高石、そして国道56号線。仁淀川の橋を渡り、弘岡を抜け、あじさい街道を通って「はるのの湯」へ。16kmラン。休日ランにしては、ちくと物足らん感じもありましたが、念願の塚地越えを走れて良かったです。
温泉につかり、ビールを飲んで、バスに乗って高知へ帰ってきました。堺町から中の島の家に帰りよったら、堀川で、知人がお花見をしゆうところに遭遇。はい。堀川の桜は、まだ、一輪も咲いちょりません。ピンク色に膨らんできた蕾はありますが。堀川の桜は遅いですきんね。
しかしそんなことは気にしない。気の早い高知県人の皆さんが、早くもお花見を始めちゅうのでありますね。せっかくなのでしばし合流し、今年初めてのお花見を堪能してから、家にイニました。
ああ。なんと贅沢な休日。