高新と日経〔4297〕2015/01/20
2015年1月20日(火)晴れちょります
今朝、高知新聞と日本経済新聞を読みよりまして、同じことを取り扱うちゅう記事やのに、取り上げ方や見出しの印象が随分と違うちょりました。まあ、それぞれの新聞のスタンスというものがあるので当然っちゃあ当然ですが、興味深いことでした。
写真をご覧ください。
同じ新聞に見えますが、左側が今朝の日本経済新聞社会面で、右側が、同じく今朝の高知新聞社会面。取り上げた内容は、文科省が、小中学校の統廃合についての「手引き」を60年振りに改定した、というもの。
で、高知新聞の方では、小規模校が進むのはやはり問題であるので、存続させる為に、色々と工夫をして欲しい、という見出し。
これだけを見ると、どんどんと地方の小中学校の統廃合が進む中で、工夫次第では存続も可能なので頑張れ、てな感じに見えます。
記事を読んでみると、そんな楽観的なものではなく、やはり少子化、過疎化の中での厳しい現状は現状として認識し、自治体は真剣に考えてもらいたい、という「手引き」であることはわかります。
日本経済新聞の方は。
これはもう、見出しからして「小中学校統廃合促す」ですきんね。この見出しを見ただけですと、文科省は、どんどん積極的に小中学校の統廃合を推進しようとしている、としか読めません。しかし、記事の内容を読んでみると、事実関係は、高知新聞に書かれちゅうことと、そんなに変わりはない。
見出しのつけ方が、その新聞社がその内容に対してどう考えているのかを如実に表した例ではないかと感じたのは、小生だけでしょうか。
事実関係は同じような内容ですが、掘り下げた部分は、やはり違います。高知新聞の記事では、手引きを作成した中教審の委員の「統廃合しても少子化の中では将来また次の統廃合をすることになる。統廃合を進めるだけでは負の連鎖。そういう意味で存続の場合の留意点を示したことには意義がある。」という意見を引用しちょります。また、宮崎県で統廃合を避けるための工夫をしているケースを例示して、町の教育委員会担当者の「小学校はコミュニティの中心。学校があって子どもがいることで、地域が元気になる。」というコメントを掲載。そして、文科省の「どちらを選択するにしても、各自治体は真剣に検討してもらいたい。何もしないことだけは避けてほしい。」との見解を紹介しちょります。
高知新聞で紹介されちゅう工夫の例としては、3つの小規模校が、スクールバスを使って年に10回ほど集まり、合同授業をやる、というものや、テレビ会議システムを使うたネットワーク授業など。なるほど。
日経新聞の方でも、小さく、「地域コミュニティの核として小規模校を残す選択も尊重される必要がある」という手引きの内容と、工夫例を4行ほどで紹介はしちょります。が、囲みで、「統廃合、各地で進む」とあり、「統合で1学級の人数が増えれば、より多くの旧友と切磋琢磨できる」「学校が遠くなり、子供たちが気軽に遊べる場所が減ってしまうのでは」という長所短所を併記しながら、しかし、懸念には留意せんといかんけれども、最後に「学校を変わるのはさみしかったけれど、今の方が友達がたくさんいて楽しい」という女子児童の声を載せて、統廃合に肯定的な読後感を持つように仕上げちょります。
使うちゅう写真も、高知新聞はテレビ会議システムを利用したネットワーク授業の風景で、日経新聞は統合された小学校へ通うスクールバスの写真。
ああ。
学校は地域の紐帯であることは言うまでもありません。上に言う、「負の連鎖」とは、集落に子供が減って学校が廃校になると、今度は、学校も無いような場所に住めない、ということで子連れの家族が集落を離れてしまうし、増してや、子供のいる家族が移住してくる訳もなく、どんどん高齢者だけになってコミュニティ維持が困難になっていく、というもの。
小生、日本という国土は、中山間や海岸の小さな集落があって、初めて成り立つ国土であると確信しちょります。それがなくなると、日本は日本でなくなる。日本は、決して、東京都名古屋だけで成り立っているものではないし、絶対に成り立たない。
地方創生議論の中で、人口20万人くらいの都市を核として、そこに色んな施設を集め、地方を維持していく、という方向性が示されちょったと思いますが、それは違う。それは単なる時間稼ぎでしかない。
もっと根本的に、地方へ若者を含めた人々が住んで働く仕組みを考える。難しいかも知れないが、考える。仕組みをつくる。以前、ご紹介した、旧物部村の大西地区という凄まじい過疎の集落に人が増え、子供の声が響くようになっているケースもあります。
願わくば、そんな地区が増え、使わんなっちょった校舎を利用して学校が再開する。そんな夢のような光景が、日本にやってくる日を熱望します。
地方で、やりきれないほどの過疎化やコミュニティの消滅を目の当たりにしている人々と、それをどっか遠いところの物語で日本の国威とは関係ないと思うている人々との差は、まだまだ、埋めがたいものがありますね。
そんなことを感じた、今朝の高新と日経でした。