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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

赤鬼山登拝記〔4289〕2015/01/12

赤鬼山登拝記

2015年1月12日(月)晴れ時々曇り一時小雨

成人の日。朝、会社に行って用事を済ませて帰って来た後、鏡川を遡上して朝倉界隈をたつくって来ました。そして、こじゃんと貴重な経験をして参りました。名付けて「赤鬼山登拝記」。

高知市の西部に位置する朝倉。JR朝倉駅の北西に、朝倉神社さんが鎮座まします。もちろん延喜式内社で、古い古い謂れを持つお宮さん。
その山容は、昨年登拝した、ヤマトの三輪山そっくり。なだらかな円錐状で、これこそ神奈備山。
元々、山自体が神様。ご神体山。ヒモロギ。地元の開発の神、天津羽羽神(アマツハハガミ)が、この山そのものとされます。ご神体山。地域の開発の神として、太古の昔から尊崇されておったようです。

その山の南東の麓にいつしか社殿が造営され、そこで山を遥拝するようになりました。そして。
大化の改新の登場人物の一人、女帝、斉明天皇(重祚するまでは皇極天皇)が、神社に伝わる伝承に登場するのであります。

ここで一先ず、日本書紀の記述と定説を、おさらい。
660年。斉明天皇6年。かの、中大兄皇子がかなりの権力を握っちょった時代。百済が新羅と唐の連合軍に滅ぼされると、中大兄皇子の意を受けた斉明天皇は、百済救援に軍を派遣します。
斉明天皇7年5月9日、朝倉橘広庭宮に遷って、朝鮮出兵に備えます。しかし、斉明天皇は2ヶ月後の7月24日に崩御。
その、朝倉橘広庭宮を造営するのに、朝倉社の樹を伐って材料にしたことから神が怒り、鬼火が続出した、とされます。
斉明天皇崩御で、中大兄皇子が軍勢を率いて朝鮮へ出兵するも、白村江の戦いの惨敗などで敗退して帰って来たのはご承知の通り。その後、天智天皇となった中大兄皇子。

日本書紀には、斉明天皇崩御の際の喪の礼の時、山の上から鬼が儀式を覗いておった、という記述があります。

さて。
この朝倉橘広庭宮は、定説では、福岡県朝倉市とされちょります。百済救済に向かう場所としては、九州が適しちょりますきんね。
しかし。高知の朝倉神社の社伝では、これは高知の朝倉神社であった、と伝えます。
斉明天皇が建てた仮の宮は、日本書紀と同じく丸木で建てられ、木の丸殿と呼ばれた訳です。今もその地名は残り、木の丸保育園が神社の横にありますね。
そして、日本書紀で、鬼が居たとされる山、それが、現在の朝倉神社のご神体山、赤鬼山、という訳だ。

その赤鬼山。
ご神体山なので、禁足地になっちゅうと思いよりました。ネットて調べてみると、そういう訳では無いようで、朝倉神社さんも、登拝するのを認めておるとのこと。
そんな訳で、今日は、その赤鬼山に登拝してきたのであります。
社務所にご挨拶しちょいて、と思うたのですが、あいにく社務所は不在。仕方ないので、神社に丁寧にお参りし、ご挨拶をしちょいて、境内の脇から登りました。山道のようなものはありません。まったくの藪漕ぎ。ですが、良い山です。
太古の昔からのご神体山なので、木を伐ったりすることは固く禁じられてきたと思われます。天皇陛下の宮を造営する、ということで伐採したら、とんでもない祟りがあったくらいですき。

そんなに急ではない山の斜面は、スダジイなどの樹木が生えており、原生林の趣。それほど鬱蒼とはしておらず、実に歩きやすい。太古の昔からの、厳粛な雰囲気の森を、枯れ枝を踏みしめながら登ると、頂上近くに「朝倉神社ご神体山」の標柱。あまりに畏れ多く、撮影するのは憚られました。拝むだけにしちょいて、山中を散歩。
いや、ホント、良い山です。写真は、そんな山中の風景。人の手が入っていない、大自然そのもの。

と、突然空が暗くなり、雲がかかったかと思うと、雨が。さっきまで晴れちょったのに、突然の雨。しばらくして止みましたが、ビックリしました。
斉明天皇の葬儀を眺めておった鬼かも知れません。

神社の脇から登ってきたので、道の無い藪漕ぎやったのですが、どうやら山道もあるようです。しかし、せっかくなので、下りも、斜面の原生林を歩いてあちこち探索しながらの藪漕ぎ。
降りてきた場所は、朝倉古墳の近く。
そう。この山の麓には、7世紀前半のものとされる古墳もあります。

ああ。

斉明天皇が朝倉宮にやってきたのは、7世紀中期の661年。朝倉古墳は、そのちょっとだけ前のもの。中央政権と関係の深い有力者がここに盤踞しちょったのは間違いないでしょう。
その有力者は、ヤマトの三輪山など、神奈備山のことを知っちょったでしょうか。そして、中央のそれに擬え、土佐でも同じような山容の山を、開発の神として、そして神奈備山として、祀るようになったのでしょうか。たぶん、間違いなく、そう。

そこに、当時の政権に起こった事件が絡み、伝説となって今に残る。

この素晴らしい森には、そんな一千数百年の歴史がゆっくりゆっくり流れておりました。ゆっくり、ゆっくり。
神聖なる神奈備山、赤鬼山。


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