歩道橋から土佐橋の風景〔4230〕2014/11/14
2014年11月14日(金)晴れて冷えます
いや〜、冷ようなりました。高知市の今朝の最低気温は6℃くらいにかありません。もう、冬。季節は、こうやって進んだり戻ったりしながら移ろうていくのでありますな。
ここははりまや橋の東。木屋橋のところの歩道橋の上からはりまや橋方向を撮影してみました。シャッタースピードを落として。
昨日の新聞でしたか、今、全国的に、歩道橋が撤去される方向である、てな記事がありました。撤去される理由はともかく、時代の遷り変わりを感じます。
歩道橋。
高度成長期、急激に進展したクルマ社会の中で、歩行者の安全を確保するために考えられたのでありましょう。しかしクルマ社会も成熟期を迎え、人口が減少する中で、その役割や機能を考えて見る時期にきちゅうのかも知れません。
まず、社会全体が高齢化していること。そもそも交通弱者であるご高齢の方は、歩道橋なんぞ利用できない。信号機が無くて歩道橋しかない場合、どうやって渡れば良いのか、ということになる訳ですね。
時代は、やっと、人間中心にモノゴトを考えるようになってきました。人々の幸せ中心。歩道橋がなくなり信号機になることで、少しばかり車の渋滞が増えるかもしれない。しかし、これから人口は減りますし、そもそも「そんなに急いでどこへゆく」ということですね。
さて。この電車道、そこで大きくS字カーブしちょります。はりまや橋交差点の東側。車のヘッドライトの軌跡がカーブを美しく描いちょりますね。
このカーブは、当然のことですが、ここに川が流れちょったき。その堀川を電車道が南から北へ渡る為にカーブしちゅう訳です。その川に架かっちょった橋は土佐橋。今も、欄干が残り、ここが橋であったことを教えてくれます。
この左手にバスターミナル。高速バスなどの「降り場」。その向こう側にパチンコ屋さんが見えます。あそこにデパートがあった時代、高知市は、ここに大きなバスターミナルとバスの駐車場をつくり、デパートと直結させて、中心市街地とつながる賑わいを考えたことがありました。あっという間の儚い夢ではありましたが。
このバス降り場は、そんな夢の痕跡。そもそも、その後の社会がどうなっていくのか、という観点が欠けちょったがでしょうか。
今、この風景を見ながら思うことは色々あります。
こないだ、錦糸町から東京スカイツリー前を通って浅草、吉原方面を走りました。印象的であった東京スカイツリー前の風景。
あの場所。以前、押上駅と業平橋駅の間は、コンクリ護岸の薄汚れた水路、北十間川が流れておりました。堤防も高く、殺風景この上ない場所。
その場所が、スカイツリー建設に合わせ、びっくりするくらい変貌したのでありますね。コンクリ堤防は取り除かれ、水辺の美しい空間が演出されちょります。川面の両岸にはボードウォークがしつらえられ、水の近くへ降りていけるようになっちょりました。北十間川は、小汚い水路から、美しい川になった訳です。
ヨーロッパなどでは、もう、ずっと昔から水辺の空間の重要性が謳われ、取り組みが行われてきましたが、日本でも、やっとこさ、そんな動きが始まったところでしょうか。
本物の川を取り戻し、自然の美しさの中で生活しよう、という試み。高度成長期、汚いものには蓋をし、人工的なものが科学文明の結晶である、といった考え方のなかで作られてきた街が、人間にとって、実は、快いものではなかった、ということが判ってきたのかも知れません。
ところで、このカーブ。なんでここがカーブになっちゅうのか、知らない世代も増えてきちょりますよね。都市の景観や構造は、そもそもの地形に由来するものである、という見本が、ここにあります。このカーブを体感しながら、このバス降り場や向こうのビルの間の公園が川であった風景を思い浮かべてみるのも一興ではないでしょうか。