帯屋町、吉田東洋、ハマグリ丁〔422〕2004/06/11
2004年6月11日(金)雨
うーん、台風4号がこちらへまっすぐ向かって来よりますね。皆様のところは大丈夫ですか?気を付けんといかんです。
今朝はその台風の影響の雨のなか、高知市中心商店街である「帯屋町」を通って出勤してみました。ここは、中央公園を北に出たあたりの広場で、高知の賑わいの中心地と言っても良いでしょう。アーケードの中は、昼間になりますとたくさんの買い物客が行き来する楽しい場所になります。
ここは藩政期は郭中(かちゅう)であり、お城に近い、家老などの身分の高い武士の居住するエリアでした。幕末の1862年に暗殺された名参政「吉田東洋」の屋敷は写真のアーケードを向こうへ行った右手にありました。高知城からこのお屋敷へ帰る途中を襲われたのですね。
封建制度が確立される途中であった藩政期初期、17世紀の前半頃は、まだ武家と町人の居住区分が明確に別けられていませんでしたので、この辺りには今と同じ様に商人も住んでいたそうです。その中に豪商「帯屋勘助」という人物がおりまして、「帯屋町」と呼ばれるようになったのだそうですね。しかし、17世紀後半にはここは武家しか住むことができない地域となり、「御屋敷筋」と呼ばれるようになったそうです。再び帯屋町になったのは明治になってからでしょうか。
この帯屋町と本町の間、今のおびさんロードの辺りに「ハマグリ丁(ちょう)」という通りがありました。元禄の大火で城下が焼けた際にできた通りで、ハマグリは焼いたらパカっと口を開くことから、焼けたあとにできたこの通りをハマグリ丁などと呼んだのですね。