国道1号線、幽霊坂〔4201〕2014/10/16
2014年10月16日(木)晴れ
今朝は東京。昨日の午前中から来ちょります。
で、今朝も早朝RUN。もちろん最終目的地は築地。品川界隈に泊まり、旧東海道である第一京浜、国道15号線を走って築地に向かうのがいつものコースですが、今日は、高輪台にあがって、国道1号線を走ってみました。
品川の駅から高輪台の方へと上って行く坂。これが柘榴坂。ざくろざか。
今、「柘榴坂の仇討ち」という映画をやりよりますね。桜田門外の変で討たれた井伊直弼の仇を討て、と彦根藩から命を下された武士の物語とのこと。内容はよくわかりませんが、なかなか面白い映画にかありません。
その柘榴坂を上がり、病院の横の道を西へいくと国道1号線。桜田通り。
国道15号線、第一京浜国道は、旧東海道ということもあって、平坦でまっすぐな道。海岸に近いところをまっすぐに走る道。ところが、国道1号線は、途中で右折したり左折したり、そして起伏も激しい道。これは、渋滞緩和のバイパスとして、計画された道やきでしょうか。
東京は、つまり江戸の城下は、非常に起伏に富んだ地形の上に築かれちょります。いわゆる、武蔵野台地の東端。上野、本郷台方面の台地は、比較的台地の形状も単純で、谷に切れ込みも単純な地形ですが、南の方の高輪台、白金台、麻布界隈は、細かい谷が縦横に切れ込み、非常に複雑な地形になっちょります。以前にもご紹介しました。
江戸時代の都市計画では、基本的に、台地の尾根筋に沿って道を通し、そこから枝道を斜面に下ろしてくる、というつくりになっちょります。
で、主要街道は、尾根の上をまっすぐか、海岸沿いをまっすぐ、というのが基本でした。東海道は海岸ですし、甲州街道は尾根の上の道。
そう見てきたときに、国道1号線は、そういった規則性を無視してつくられちゅうことが解ります。尾根を横切ったりするので、結構な起伏があります。走る分には、なかなか楽しい道。
第一京浜の西側、泉岳寺などのある台地を越えたところを通る国道1号線。なので、東側には、台地。かつては結構急峻であったと思われる台地の上は、今は、大使館や高層マンション、学校などが並びます。今も昔も高い場所には高級な家々が並ぶようになっちゅうがですな。
あと、大阪、上町台地の台地上の道、谷町筋もそうであるように、高い場所にはお寺さんも。
高輪台と言うのでしょうか。魚籃坂という坂が、国道1号から東の台地上に向いて上っちょりました。その魚籃坂を過ぎて少し行くと、右手に、狭い坂道。その入口に「幽霊坂」と書かれた標柱が。そうか。幽霊坂か。
この坂の上はお寺さんばかり。もちろんお墓もたくさん。お寺に挟まれた小径、というのは、夜になると人通りもなく、寂しい場所。しかもお墓がたくさん。で、幽霊坂と呼ばれるようになったがにかありません。
この標柱には、幽霊坂と呼ばれる坂が、東京には七つある、とも書かれちゃありました。起伏が激しい台地の先っぽにつくられた江戸。坂道も多いので、幽霊坂も多い訳だ。
ここを過ぎると、三田。実に複雑な地形の中を、国道は抜けております。大使館だらけの、静かな三田。慶応義塾の横を抜け、東京タワーの足下を抜けて霞ヶ関方面へ。芝、増上寺の裏手を通ることになります。あの界隈、東京タワー界隈の地形は、じつにウネウネして楽しいものがありますね。
東京の地形を、今朝も堪能できました。早朝5時半の築地場内、八千代で、火、木、土限定チャーシューエッグ定食を食べて、今日も一日頑張るぞ!という気分になった東京の朝。