大自然と人間の本能と社会学〔4181〕2014/09/26
2014年9月26日(金)秋晴れ
今日も秋晴れ。夜明け前の空には冬の星座が一面に輝き、透きとおった空気を実感できます。本社の前にあるキンモクセイの樹からは秋の匂い。鈴虫の音が心地良い朝。
明るうなってから、会社の東側の物部川原に出てみました。お日様は、まだ、地平線の下。朝焼けの空と三宝山のシルエット。地球は、美しい星です。
今年の夏はずうっと雨。それも大雨。なので、物部川もかなり長期間増水し、濁った状態も長かったので、鮎漁にとっては厳しい夏となりました。この川は、濁りさえしなければ、鮎にとってこじゃんと状態の良い川になったとされます。産卵場所が整備され、鮎自体の力で繁殖する、おいしい天然鮎の宝庫、物部川。しかし、上流にあるダム湖に大量の土砂が堆積してしもうたので、ちょっとした大雨で濁り、その濁りが長期間続く、という川になってしもうちょります。
土砂の堆積は、建設当時の想定を遥かに超える量となっちゅうとの記事が、こないだの高新に書かれちょりました。
なんとか、その土砂、サラエれんもんでしょうかね。人間のやったことですき、人間が何とかするしかない。土砂の堆積は、濁りの問題だけではなく、治水にも影響を与えます。貯水量が減る訳で、その分、治水効果が薄れてしまう。どのみち、このまま堆積が続いたら、どっかでなんとかせんといかん時期が来ることは確定しちゅう訳で、それなら今の内になんとかならんもんか、と、考えてしまいます。人間がやったことですき。
しかし最近、大雨も降らず、落ち着いてきた物部川。ああ。なんという美しさ。震災対策で、堤防には護岸工事が施されちょりますが、川面の美しさは変わりません。最近の護岸工事は、岩を組むなどして工夫をし、生物が生息しやすい環境に配慮するようになってきたにかありません。こういった技術をどんどんと向上させていくのが、これからの人間の知恵でしょうね。
この川の源流は、四国山地。三嶺もその一つですが、ああ、最近登ってない。休日に用事が入ってしまうことが増え、ゆっくり山で過ごす時間が取れんのは、人間としてちくと問題ですな。
ご覧下さい。このお腹。ぷっくり。
人間は動物ですき、自然の中で生きていくようにDNAに刷り込まれちょります。なので、大自然の中に抱かれるとき、心地良さや安心感を味わうことができるがやと思います。都会で生活しゆうヒトが、たまに大自然を味わいに登山したりするのも、よくわかります。
そして、そのうちに。大自然の中で生活したい、と思うようになります。自然が甘いものではないことは、体感してみんとわからんでしょうが。
そんなとき。山や海や川で生活できるような社会。難しいことはわかっちょりますが、そんな社会を創ることはできんでしょうか。今、移住促進などと、行政は一生懸命になっております。人類は、自然の中で生きていく本能を持ちます。その本能を刺激し、うまく生活が立ちいく仕組み、社会。
便利さ、効率、機能性。それはそれ。
社会学として考える時、人間の本能を考慮し、自然からの視点を持つことの大切さ。
どうしても、行政の考え方は「都市」が中心になり、どうやって、「都市」の便利さを国民に共有させるか、という視点になってしまう。東京で考えると、そっから思考がはみ出さない。それはそれで大切なことでしょうが、それだけだと、山や海にヒトが居なくなり、都市部では出生率が下がり、人口が減少して、国が衰退し、成り立たなくなっていく、という将来が見えてきてしまいます。
大自然の美しさを見るにつけ、そんなことを考えてしまう今日この頃。
それはともかく、このお腹をなんとかするのが、喫緊の重要事項ですな。飲食を控えて、山をたつくろう。