10年振りの福岡ドームはヤフオクドーム〔4118〕2014/07/25
2014年7月25日(金)晴ればい
そんな訳で今朝も福岡。暑うございます。福岡が暑い訳ではなくて、どうやら全国的に猛暑になっちゅうにかありません。昨夜は中洲で飲んだ後、20分ほど歩いてホテルに帰りましたが、帰り着いたらもう、雨に降られたかのような汗ビショの姿になってしまいました。でも、中洲、おいしかったですばい。
今朝も5時起きで早朝RUN。今朝は、このヤフオクドーム界隈までたつくりに行っちょりました。ソフトバンクホークスの本拠地、ヤフオクドーム。
ネーミングライツちやらで、どこの球団の本拠地やらわからんなっちゅう中で、ここはまあ、同じ孫さんですきんね、という感じ。博多に泊まって、ここへ朝RUNに来たのは10年振り3回目でしょうか。
1度目。2003年10月28日の朝。その前日、10月27日に、ダイエー対阪神の日本シリーズが開催された、福岡ドーム。そう。その当時はホークスはダイエーホークスでした。そしてここは福岡ドーム。その日のにっこりにも書きましたが、小国町での研究会を主導されよった九州大学のS先生のご自宅に招待されまして、ダイエー阪神の日本シリーズ第7戦、つまり日本一決定戦を、一緒に観戦しました。そのご自宅から、福岡ドームの灯りが見えました。
その試合はダイエーが勝利して日本一となり、博多の街がお祭り騒ぎであったことを覚えちょります。
2度目は2004年11月19日。1度目と同じアングルで撮影した写真。実は、現在は、そのアングルでの撮影ができんなっちょります。左側の、広いオープンスペースであった場所に巨大なモールができちょりまして、それがマギって撮影できません。
その2004年のにっこりの記事を読むと、そのシーズンオフに、オーナーがダイエーからソフトバンクに変わり、ソフトバンクホークスに変わる、ということが書かれちゃあります。そうか。ソフトバンクホークスになって、もう10年か。
昨日のことのようですが、10年後の小生は、福岡で、販売店さん廻りをやるようになりました。時間は、どんどんと流れてゆきます。
夏の朝日を浴びるヤフオクドームは、朝のホークスタウンに静かにたたずんでおりました。九州のアイデンティティ、ソフトバンクホークス。
しかし。
我々が子供の頃は、九州のアイデンティティは西鉄ライオンズでした。昨日ご紹介した福岡城趾にあった平和台球場で、数々の伝説をつくった西鉄ライオンズ。太平洋、クラウンライター、と変遷して西武ライオンズとなったのは1978年で、九州の人々にとって大ショッックであった本拠地の移転が行われました。埼玉、所沢へ。西武鉄道の球団としては致し方ないところか。
そして九州人にとって10年の空白。
1988年、南海ホークスが身売りされ、ダイエーホークスに。そして平和台球場を本拠とすることになり、10年振りに九州にプロ野球の球団が戻ってきました。福岡ドームができで、そこが本拠となったのが1993年。
そして、ホークスが、九州のアイデンティティになりました。
とは言え、今でも西鉄時代を懐かしむオールドファンは多く、ライオンズの人気も根強い、とも言われます。どちらにしましても、そういった娯楽で楽しめる、盛り上がれる、というのはエイもんですね〜。
ところで、「へいわだいきゅうじょう」と書いて変換したら「平和第九条」になりました。なるほど。