立田の田んぼ、稲刈り、鉄道空港線〔4116〕2014/07/23
2014年7月23日(水)晴れ
暑い夜でした。そして朝からワシャワシャワシャワシャ。子供の頃の、あの、遊び呆けよった夏休みを思い出してしまいます。しかしいくら暑くとも、大人には仕事があるのであります。頑張りましょう!
そんな訳で、ここは会社の近く。南国市立田。こないだの高知新聞で、早くも稲刈りが始まった、とご紹介されちょった田んぼ。ご覧のようにすっかり稲刈りも終わっちょります。夏の日差しが照りつけ、炊きたてご飯の香りがする稲刈り後の田んぼ。
お日様の下には三宝山。その右手に見えるのは給水タンク。高知の夏の風景。
この稲の品種は「南国育ち」。極早稲品種で、新米の早さにかける高知の田んぼでは、よく栽培される品種。新米はおいしいですきんね〜。間もなく、高知では新米が手に入り始めます。まだ7月中旬過ぎというのに稲刈り、というのは、全国的に見ても異例の早さでしょう。さすがの高知でも、まだ、それほど稲刈りは始まっておりません。間もなく、という感じに仕上がっちゅう田んぼは多いですが。兼業農家が多いので、勤め人が休みになるこの週末辺り、稲刈りがかなり行われるのではないでしょうかね。楽しみです。
ここは立田。現在の住所では南国市立田ですが、昔の地名で言えば、たぶん、咥内島村。立田村の東に位置する物部川自然堤防上の村。この左手の方に集落。
この田んぼのしゅっと南を、土佐くろしお鉄道ごめんはなり線が通っちょります。かつての土電安芸線の線路があった土地の上に、高架になった鉄道が走っちゅうがです。で、このしゅっと西側の部分が、ちょっとだけ広うなっちょります。土電安芸線、日章駅の痕跡。昭和19年に、今の空港の所にあった海軍高知航空隊へ資材を運ぶため、急遽つくられた駅。
その際、鉄道を飛行場まで引いちょったら。もしかしたら、高知空港へのアクセスは鉄道になっちょったかも知れませんね。そうであったら、高知の風景もずいぶんと違うものになっちょったかも知れません。
妄想してみましょう。
もし、昭和19年に日章駅ができたとき、資材輸送のために海軍飛行場まで鉄道が敷設されちょったら。終戦後、海軍飛行場が日章飛行場となり、民間旅客機が飛ぶようになっても、その路線は残されたでしょう。つまり、空港へのアクセスには、土電安芸線が利用された、と。鏡川橋から高知空港直通の電車が走ったかも知れませんな。
で、新しい安芸への鉄道計画に際し、土電安芸線は廃止に。しかし、便利な空港線は残されたかも知れない。土電電車の東の終点は高知空港。
で、土佐くろしお鉄道が敷設され、そこでどうなったか。
考えられるのは、空港線の敷地を利用して、くろしお鉄道空港線にする方法。高知駅から高知空港への直通列車が運行され、所要時間は15分、てな感じになっちょったかも知れません。ただ、高知の街中から一旦高知駅まで出て、そっから汽車に乗らんといかんので、ちくとノウが悪いことになっちょったかも知れません。なので、バスも運行はされたでしょうか。
立田、稲刈り後の田んぼを眺めながら、ホントにとりとめもない妄想を暴走させる朝。
クマゼミがワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャ