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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

春野、新川の草競馬の第4コーナー〔4104〕2014/07/11

春野、新川の草競馬の第4コーナー

2014年7月11日(金)晴れ

それにしても台風一過、暑い暑い高知県地方。そんな炎暑の中、お昼、春野に用事があったので、仁淀川の河川敷に立ち寄ってきました。春野の新川。野中兼山開削の新川川の水運により、藩政期から昭和まで栄えに栄えた新川の西側。土手の上には、古くから地元で尊崇されてきた、大師堂が鎮座ましまし、夏空の下で静かにたたずんでおりました。

その大師堂から仁淀川河川敷に下ったところに、競馬場の痕跡があるのをご存知でしょうか。と、申しましても、山田競馬や長浜競馬、こないだ行ってきた松江競馬のような、地方競馬規則に基づいた競馬場ではなく、草競馬の競馬場。昔、馬が農耕の主役であった時代、日本中、いろんな場所で草競馬が行われ、庶民の娯楽の王様であった時代があります。今は、そんな草競馬の痕跡も少なくなりましたが、ここ新川の草競馬の跡地は、楕円形に小道が残り、往事をしのばせてくれるのであります。

春野町の教育委員会が出版しゆう冊子に「春野風土記」というものがあります。春野の様々な歴史を、地元の人々が調べ、書き留めた論文が多数掲載されちゅう冊子。その第11集に、森山の吉川則海さんという方が、「新川の草競馬について」という文章を書いて下さっちょります。それを読むと、新川の草競馬がどんなふうに行われよったのか、よく解ります。

やはり、一番盛んに行われよったのは、昭和初期にかありません。山田競馬などが開催されよった時期と重なります。新川の草競馬は、毎年、農閑期の正月から3月くらいの間に開催されよったそうです。毎年3回以上。河川敷は建設省の土地なので、代表者3名が坪3銭の敷地料を支払い、借り受けちょったとのこと。
1周500mくらいで、右回りの楕円形。コース幅が5m〜10m。草競馬の中では、なかなか立派な馬場がつくられちょったにかありません。

その楕円形の馬場跡を歩いてみました。
どうやら、当時は、南側の川岸寄りでスタートし、西側のコーナーをまわって北側のバックストレートを走り、東側のコーナーをまわってくる、というコースやったようです。そうしますと、写真は第4コーナー。向こうの土手の上に新川の大師堂が見えます。

当時、観客席は、西側コーナーの小高い丘の上がメインで、開催日にはたくさんの人々が訪れ、駄菓子屋やら玩具屋が出店して、それはそれは賑やかやったとか。飴パン、スルメ、椎の実を煎る香り、鶴亀(鯛焼きみたいなの)を焼く匂いなどが漂いよりました。ああ、想像するだに楽しそう。

で、草競馬ですき、馬は斜行したり薮に突っ込んだり。騎手を振り落とすので途中から別の者が飛び乗って走ったり、と、まあ、大騒ぎのうちにレースが行われよりました。
この、夏草や樹々に覆われた場所が、そんな風景が繰り広げられよった場所であるとは、想像もできません。しかし、草競馬は、庶民の娯楽の花形でした。現代は色んな娯楽が溢れますが、たまの草競馬と巡回して来る映画だけが娯楽であった時代の、その楽しさと言うたら、今では想像もできんくらいやったことでしょう。

この界隈でも、仁淀川対岸の波介の出間では、谷を馬場に見立てて開催。新居では、お不動さんのお祭りの日に、鳴川では大師さまの祭りの余興で、といった有り様。京間でも有料の櫓座敷をしつらえるなど、かなり本格的に草競馬が開催されよったと言います。すごい。

少し、各所の草競馬痕跡を探してみろうかと思いよります。その第一弾。新川の草競馬場をご紹介しました。それにしても暑かった。


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