車掌用ボタン〔4096〕2014/07/03
2014年7月3日(木)雨
久々に梅雨らしい雨。しとしとと降り続く雨。これで農作物もちょっと一息ついたところでしょうか。
昨日は、業界の寄合がありました。中国四国地方の同業が集まる中四国ブロック会議やったので、島根県、山口県、広島県などから高知へ来られちょったがです。木次乳業の社長さんは、出雲からJRを乗り継いでやって来ました。所要時間は6時間。やまぐち県酪さんは新幹線と南風で、4時間半。普通に、東京で集まる方が時間がかからん、という中四国ブロック会議。広島、岡山、山口、高知と持ち回りでやるので、4年振りの高知開催でしたが、なかなか興味深く、面白い会議でした。
会場で懇親会をやった後、ひろめ市場へご案内〜。高知を堪能して頂きました。小生も堪能し過ぎて、最後の方は記憶がありません。
今日は、本州方面へ仕事に向かいよります。与力町に車を停め、土電の電車で高知駅へ。特急南風の車内で、このにっこりを書きゆうところです。
昨日、「とでん」と「けんこう」と地方公共交通のことを書きました。この土電の電車は、「とでん」以外の何者でもないので、会社が統合しても「とでん」であり続けて欲しいと願う今日この頃。
電車の愛称は、なかなか微妙で難しいところがあります。
昔、国鉄の時代、山手線などの、首都圏の国鉄の電車は「国電」と呼ばれておりました。国鉄が民営化され、JRとなるに際し、国鉄の電車を意味する「国電」では具合が悪い、ということで、新たな愛称を「E電」にしたがを覚えちょりますですろうか。駅のホームには「E電のりば」などと書かれた案内表示もたくさん掲げられました。
しかし。
結局のところ誰も「E電」などと呼ばず、山手線、京浜東北線、と、路線名で呼ぶことになったという、「E電」の名称を考えたヒトには辛く悲しい歴史が思い出されます。
公共交通機関の愛称は、軽々しく、誰かが考案できるものではないのですね。高知駅の愛称が公募され、「くじらドーム」となったことを覚えちゅう方がどれっぱあいらっしゃいますでしょうか。
話がこじゃんと逸れました。高知の公共交通機関に戻しましょう。高知県民の皆さんは、できるだけ車で出かけるのを控え、電車やバスを利用して欲しいと思います。それが、これからの時代の生き方、というもんでしょう。
電車もバスも、効率化の歴史を辿ってきました。昨日もちょっと書きましたが、土電のバスで、最初にワンマンバスが走ったのは昭和41年。新屋敷線やったそうです。土電の電車がワンマンになったのは、もうちょっと後のことやったような気がします。
今日、高知駅へ向かう電車で、車掌さんが居た当時の名残を撮影してみました。この「車掌用ボタン」。
車掌さんが、あの、独特の言い回しで、歌うように、次の停留所の名前を言います。降りたい乗客は、その旨、車掌さんに伝えます。車掌さんが、あの、車掌用ボタンを短く「ビ」と押しますと、運転手さんが同じく手元のボタンを「ビ」と鳴らして、了解したことを伝える、あの懐かしい仕組み。車掌さんのボタンと運転手さんのボタンのブザーの音の高さが、ちょっと違うがが印象的でした。
ワンマンになっても、そのボタンは取り外されることなく、このように残っちょります。ああ、押してみたい。あの当時のように、低く震えるようなブザー音が「ビ」と鳴るのでしょうか。
昔は、たくさんの人が様々に関わるように、世の中の仕組みができちょりました。江戸時代、街には、様々な、本当に様々な職業の人が溢れ、細分化された仕事を、丁寧にこなしておりました。それが成り立っていた時代。時代が進み、効率化が美徳となって来ると、お店の規模が大きくなって、細分化された細かい職業が成り立たなくなりました。バスや電車は一人で運営されるようになり、お店屋さんはセルフレジになってしまい、人が関わらなくなって来ました。
それはそれで便利なのかも知れませんが、なんでもないことにヒトがたくさん関わっていた時代を懐かしく魅力的に感じてしまうのは、ただのノスタルジーなのでしょうか。
車掌用ボタンは、そんなことを考えさせてくれます。