太古の物部川、連山、地堂、鮎〔4091〕2014/06/28
2014年6月28日(土)晴れ
夏空。夏の空と川と緑。
高知の大自然が、二日酔いの身体を包み込んでくれます。この風景で、真夏と違うのは、蝉の声が聞こえないことくらいでしょうか。ここは物部川西岸、国道55号線の橋の少し南の土手の上。上岡山から三宝山方面を撮影してみました。
こないだ、25日のにっこりで、上岡山南麓から西の方角を撮影した写真をご紹介しました。今日は、その物部川の対岸から反対方向に撮影した写真。右端が上岡山。その向こうに、てっぺんの西洋のお城のオブジェが特徴的な三宝山。上岡山と三宝山の間には野市の洪積台地が広がります。
その洪積台地が形成されるよりも昔。あの三宝山から北東に繋がる地層が形成する連山と、稲生から西に連なる石灰岩質の連山は、ひとつのつながりをもった地層で、連山を形成しちょった、という地学素人の妄想を、こないだご紹介しました。
何故なら、古物部川は、介良の鉢伏山の南側を西流して古浦戸湾へと流れ込んじょったにかあらんきです。四国山脈から流れ出して来た古物部川は、三宝山から稲生の鉢伏山に連なる連山に突き当たり、西に流れを変えて古浦戸湾に流れ込んだ、というふうに考えました。
その証拠のひとつがここ。
以前、何度もご紹介した通り、この眼前の川を横切る岩の露出が、その連山の痕跡なのでありましょう。どんなに大水が出ても、まったく動かずにここに存在する岩が、転がっちゅう岩でなく、下から生えてきちゅう岩であることに気付いたとき、三宝山と稲生の山をつなげる同じ地層の露出であることがわかりました。そして上岡山。
ここには、恐らく山がありました。三宝山と稲生の山をつなぐ連山。
いつしか、物部川の伏流水が地下を浸食し、連山の地下を通って太平洋に流れて行きながら浸食を続け、浸食されつくした山は平野になり、温暖化による海進によって堆積した土砂が洪積台地を形成し、物部川の運んで来る土砂が沖積平野を形成して、今のような風景になったのではないか。
右端の上岡山は、その連山の名残が今に残ったものではないか。こないだうちから、ひっとりエツニイッてそんな妄想を暴走させよります。ああ、楽しい。
楽しいと言えば鮎釣り。この写真にも、二人の釣り人が写り込んじゅうががおわかり頂けますでしょうか。この上流にも下流にも釣り人。物部川は、大雨によって上流のダム湖が濁りさえしなければ、素晴らしい鮎釣りの川になりました。
日本の一級河川の大きな川では、たぶん、鮎の稚魚を放流せずに天然鮎を育成するやり方を成功させちゅうのは物部川だけ。
減少して釣れんなってきたので養殖した稚魚を放流する。これは、目の前のことだけを解決しょうとする「対処療法」で、物事の解決にはならない。
しかし、物部川は、将来を考えました。様々な議論の末、稚魚の放流をやめたのであります。その変わり、鮎の産卵場所と思われる箇所を整備し、自然の力で、鮎が繁殖して増えることを考えたのでありますね。そして成功。
物部川は、上流のダム湖に山の崩壊などによって大量の土砂が堆積、一度の大雨でその土砂が巻き上げられて長期間濁りが消えない、という、鮎の生育にとっては最悪の状況になってしまう川。人間のせいです。
今年は、まだ、川は清浄。なので鮎釣り名人にとっては、放流ではない天然鮎がふんだんに連れる川としてこんじゃんと魅力的な川。全国の鮎釣り名人が訪れます。
養殖した稚魚を放流した場合は、濁りに弱く、大雨後の物部川みたいに濁りが続くとあっという間に全滅してしまうそうです。しかし、川で産卵し、育った天然鮎は、強い。濁りが長期化しても、数は減るものの生き残り、釣り人を楽しませてくれるとのこと。
この地球の営みの痕跡である風景を眺め、物部川の自然の中で自然に繁殖する鮎を釣る風景を眺め、大自然の力を、しみじみ実感する時間。