潮江天満宮、菅原高視公、白太夫〔408〕2004/05/28
2004年5月28日(金)晴れ
昨夜高知へモンて来ました。今朝はいつものように鏡川から潮江天満宮方面を走って、気持ち良い汗をかいて来ました。やっぱし高知は落ち着きますな。
さて、一昨日のにっこりは太宰府天満宮からお届けしましたので、今朝は高知市中心部、筆山の麓に佇む「潮江天満宮」にしました。ここは、太宰府天満宮に祀られた菅原道真公のご子息菅原高視(すがわらのたかみ)公ゆかりの天満宮でございます。高視公は876年の生まれ。父親道真公の活躍もあり、大学頭、右少弁と順調に出世します。
しかし、901年、道真公が太宰府へ左遷されたことに座して「土佐介」となり、土佐へ下って参ります。903年に道真公が太宰府の地で憤死しますと、道真公を陥れた左大臣藤原時平の周辺で凶事が続き、都でも落雷が相次いだので、朝廷は、これは道真公の怒りの仕業であると考えて、日本各地に流されていた道真の子供達を都へと呼び戻します。長男であった高視公も906年に都へ戻って大学頭に復し、従五位上となったそうです。
写真左の碑には「高視公之碑」と刻まれております。右には道真公ゆかりの牛の石像。これは太宰府天満宮にもたくさんありましたね。
この高視公之碑の近くに、「白太夫神社」という社が建てられちょります。道真公が亡くなった際に、その詩文や遺品を高視公に届けるため太宰府からこの土佐の地までやって来て、高視公の邸まであと2里程の大津の地まで来ながらそこで亡くなられた「白太夫」さんという方が祀られています。