雨の大谷神社、6月6日に雨ザーザー〔4069〕2014/06/06
2014年6月6日(金)雨
6月6日に雨ザーザー。昔、絵描き歌にありました。かわいいコックさんやったですっけ。
雨が降ると何故かお参りしたくなる神社があります。ここ。野市、大谷の大谷神社さん。この神社の森は、雨が降るとその幽玄さを増し、独特の雰囲気を醸し出します。
何度かご紹介した大谷神社さんは、天岩戸別命を御祭神とする、古い由緒あるお宮さん。「三代実録」貞観十二年(西暦870年)三月五日条に大谷神と出てきますので、ホントに古い。今も、深夜にパンツ一丁の五人の男性が蒸し飯を神に備える神事が残る、神社。
この拝殿には、貴重な絵馬が奉納されちゅうそうです。河田小龍さんの絵馬。河田小龍さんが描いたものは、県内にもたくさん残りますが、ここの絵馬には河田小龍ではなく川田維鶴という落款があるがやそうです。今朝は薄暗く、堂内は真っ暗なので、今度、明るいときに確かめてきましょう。
川田維鶴は、河田小龍さんの本名。かわだこれたず、と読みます。
文政七年(1824年)、土生玉助維恒の長男に生まれて、祖父、川田金衛門の生家、河田家を継いで祖父と同じ川田姓を名乗りました。川田篤太郎維鶴。後に河田姓に戻し、小龍という号を使うようになる訳ですが、元々が川田維鶴。
最近立てられたと思しき小さな説明標柱に、川田維鶴落款の絵馬がご寄進されちゅう旨、刻まれちょりました。川田維鶴という名前の落款の板絵が、こじゃんと稀少。若い頃、本名で絵馬を描いたりしよったがにかありません。
その標柱によりますれば、小龍30才頃のものであると考えられる、とあります。
小龍さんは上にも書いたように1824年生まれ。30才と言えば1854年。嘉永七年にして安政元年。安政の南海地震があった年。その頃、一の谷を題材にして絵馬を描いた川田維鶴さん(30才くらい)。
さて。河田小龍さんと言えば「漂巽紀略」。ジョン万次郎から、遭難し、漂流して渡米した様子や海外の事情を聞き書きした、当時一級の資料。龍馬が国際的な視点をもつことになったきっかけでもある「漂巽紀略」。その取材をジョン万次郎にしたのが嘉永五年。1852年。
この神社に奉納された絵馬は、その頃か、少し後に描かれたものかも知れません。何故、30才頃に描かれたと考えられるのかは不明なので、今度検証しちょきます。
そんな、いろんな由緒がある大谷神社さん。
話は変わります。昨日、笹ヶ峰隧道入口をご紹介しました。霧が立ちこめ、日が暮れてくると、ちょっと怖い。かなり怖い。真っ暗なトンネルを車で走り抜ける際、バックミラーをよう見ません。もし、後部座席にびしょ濡れの誰かが座っちょったりしたら、もう、ダメ。ゾンゾンします。
で、人間、どんなときにゾンゾンするのかを考えてみました。
小生、山に一人で登るのは大好き。大自然の、大きな薄暗い森の中、一人でたたずんでおっても、別にゾンゾンしません。大自然に対する安心感があるきでしょうか。
同じく、神社。神社には神様がおりますので、例えば真夜中にひっとりでお参りしても、神社の軒に灯りが点いちょったら、そんなにゾンゾンしませんね。神様がおる、という安心感でしょうか。
やはり、人工物が、ゾンゾンするがにかありません。例えば昨日のトンネル。例えば真夜中の廃墟のビル。
森の中など、大自然そのまんまだと平気やのに、大自然の中のトンネルはゾンゾン。これは、人工物が関与すると怖いということで、結局のところ、人間が怖い、ということになることに、気付きました。人間の気配がない大自然に中だと、怖くない。人工物でも、神様がそばに居れば怖くない。怖いのは、人間の気配がする、静かな、暗い場所。そういうことか。
6月6日。オーメンのダミアンが生まれたのが6月6日午前6時であったことを、今、思い出しました。