賀茂御祖神社の朝〔4065〕2014/06/02
2014年6月2日(月)晴れ!
それにしても昨日は暑うございました。京都に泊まっちょったがですが、夜になっても蒸し暑い状態が続き、喉が渇いてたまりませんでした。
で、早朝起き出して、下鴨神社方面へとたつくりに行ってきました。高野川の両岸は、遊歩道のように整備され、早朝から大勢の善男善女が歩いております。
下鴨神社。以前にもご紹介しましたが、正式には賀茂御祖神社といいます。かもみおやじんじゃ。
京都で最も古い神社のひとつとされる、賀茂御祖神社。平安遷都以前から存在するとされます。
平安遷都以前、山城の盆地は湖と森におおわれちょったそうです。今でも水の流れが多く、緑溢れる京都ですが、遷都以前は太古の森が広がる場所であったようです。
ここ、下鴨神社の森は、糺の森と呼ばれ、その、遷都以前の山城盆地の風情を唯一残す場所とも言われます。
早朝。地元の皆さんが次から次へと散歩に訪れますが、太古の森は、静かに幽玄に迎えてくれます。
この神社で有名なのは、斎院の制度。
弘仁元年(810年)から約400年続いた斎院の制度。天皇家が、その皇女を斎王として仕わし、天照大神を祀らせたという制度。
その始まりは、平城上皇が嵯峨天皇と対立して都を平城京に戻そうとした事件。嵯峨天皇は、平安京の鎮守の神様、賀茂大神に、もし平常上皇に勝ったら皇女を神に仕える娘として捧げる、と、雁を掛けたとか。で、薬子の変で勝ったので、そのようにして斎王としたのに始まるとか。
斎王。
有名なのは伊勢神宮の斎王。その始まりは、昨日たつくってきた三輪山に遡りますね。
崇神天皇が皇女、豊鋤入姫に命じて、大和、笠縫村で天照大神を祀らせたことに始まる斎王。昨日登拝した三輪山、大神神社の摂社、檜原神社は、元伊勢と呼ばれ、その場所であるとされます。
で、豊鋤入姫の姪の倭姫命が各地を巡行し、伊勢にたどりついて五十鈴川の川上に斎宮を建て、天照大神を祀り始めたのが、伊勢神宮の始まりです。
そして、上に書いたような理由で、ここ、賀茂神社でも斎王が天照大神を祀るようになり、日本では、その2例だけが、しばらく続いたのでありました。
賀茂斎院は鎌倉時代の始め、伊勢神宮の斎院も、南北朝の頃には廃され、今はそんな制度も残っちょりません。
写真は、下鴨神社の参道。静かにお参りし、森の中を楽しみ、帰ってきました。
途中、高野川沿いをしばらく走りました。暑い。今日は、朝から蒸し暑い京都。ちょっと走っただけで汗がダラダラ。
鎮守の森の中は、実に涼しいのに、森から出ると暑い暑い。やはり人間、森の中が落ち着きます。大自然に抱かれるとき、幸福を感じ、こんな自然で包んでくれる神に感謝する。それが、信仰の大きな要素でしょう。大自然を畏れ、感謝する心。昨日の三輪山でも、十分に実感した感覚。
泊まっちょったJr.1号の狭いアパートでシャワーを浴び、電車を乗り継いでお客様のところへ向かい、商談を住ませ、今、新幹線で東京へ向かいゆうところ。米原から乗ったので、ひかり号。車窓から見える風景は遠く迄霞んで蒸し暑そう。
新幹線に乗っていつも思うこと。
静岡県は、長い。