地蔵菩薩、命山、えんこう祭り〔4062〕2014/05/30
2014年5月30日(金)晴れ
今年になって、かなり山の中もたつくりましたが、不思議なことに未だ蛇に遭遇しちょりませんでした。かなり鬱蒼とした山中にも入り込んじゅうのに。そして昨日。
安田町の酪農家さんのところへ車で行きゆう途中。田野の大野台地から尾根筋をいく道路で、大きなアオダイショウに逢いました。悠々と道路を横断しよったので、踏んづけてしまわんようにゆっくりと車を停車。その目の前を、ゆっくりゆっくり通り過ぎて行ったアオダイショウ。かなり長かったです。ちょっとラッキー。
で、会社へモンて来て、会社の近く、立田から北へ行く道路を車で走りよったら、さっきのよりは、だいぶ小さい黒い蛇が、これまた道路横断中。黒いカラスヘビでしょうか。続けて蛇に遭遇し、ちょっと、嬉しい気分になりました。
さて。
ここは今朝の久枝。会社から物部川沿いに南下し、物部河口から西へ向かう「黒潮ライン」の脇。ここに、立派なお地蔵さんが鎮座ましましちゅうことは、以前もご紹介しちょります。しかし、今朝通ってみると、実にスッキリしちゅうではありませんか。
ついこないだまで、このお地蔵さんを取り囲むように生け垣が廻らされ、黒潮ラインからは見えんなっちょりました。なので、ほとんどの皆さんは気付いておりません。そんなお地蔵さんの周囲の生け垣がキレイに刈られ、黒潮ラインからも見えるようになっちょった訳です。
道路の向こう側に見える碑は、白菊部隊の碑。戦争末期、ここにあった高知海軍航空隊は、練習機白菊で訓練を積み、神風特攻隊として南の海へ出撃していきました。そのことを伝える碑。その碑とお地蔵さんが、並んで見えるようになりました。
このお地蔵さんの台座には文久三年とあります。右手の灯籠の台座には文久二年三月。文久二年三月と言えば、龍馬が脱藩した月。その頃にご寄進された灯籠。
そこに飛行場が建設されるまで、この視界の中、現在の滑走路の辺りにあった標高28.2mの室岡山。津波や洪水からたくさんの人々の命を救うてきた「命山」。その山にあった八幡様は、今は、久枝の三島神社にお祀りされちょります。
「高知県の地名」によりますれば、その命山にはお寺さんもあったそうです。以下、その記事を転載しましょう。
「福楽寺は室岡山宝積坊と号し、前浜村の真言宗正興寺の末寺。本尊は地蔵菩薩。境内に阿弥陀堂・弁財天、竹林の中に山神があり、寺床は十代であった(南路誌)。中略
寺は、もと室岡山の南麓久枝八幡宮の西にあり、宝永の大地震による津波で流失、小字宮の前に移されていたが、明治四年、廃寺となった。」
以上転載。そう。地蔵菩薩をご本尊とするお寺さんが、命山の麓にあり、宝永南海地震津波で流されて宮の前に移転。明治維新直後の廃仏毀釈運動の中で廃寺になった、という記事。
この写真の地蔵菩薩は、文久三年ご寄進。ひょっとしたら、その、廃されたお寺のご本尊が、ここに残されちゅうがやないろうか、と思うのであります。何度か、このにっこりでも、その妄想をご紹介してきました。
今朝も、枇杷がお供えされ、周辺はキレイに掃き清められて、近在の皆さんに大切にされゆうことがよくわかる、親しみやすい、慈悲深い表情のお地蔵さん。
このしゅっと南には、後川に架かる橋。
おう、もう6月ぜよ。毎年6月の第1土曜日、久枝から前浜にかけての後川沿いで「えんこう祭り」が開催されよります。後川に棲む猿猴に、悪い事をせんようにお願いするお祭り。後川に架かるいくつもの橋は、電飾で彩られ、橋のたもとには川に自生する菖蒲でつくったお供え棚。茄子やキュウリをお供えします。このしゅっと南の橋のたもとにも、もちろんしつらえられます。
ですが、地元で「えんこう祭り」と言えば、そんなのどかな語感ではないようです。簡潔に言うてしまえば、子供達の花火のクラシ合い。火をつけた花火を手に持ってクラし合う。ロケット花火を他の地区の子供が居るところへ打ち込む、などなど、かなりこじゃんとアラクタイ行為が繰り広げられる、漁師町ならではのアバンギャルドなお祭り。
我々世代の前浜出身の友人は、子供の頃の最大の楽しみが、この「えんこう祭り」であったと言います。昔ほどではないにしても、今も、夥しい花火を持った子供達が縦横に走り回っております。
見物人も、どっから花火が飛んでくるかわからんので、かなりスリルがある、「えんこう祭り」。
そんな「えんこう祭り」、6月第1土曜日と言えば今年は6月7日。う〜ん、出張で高知に居らん。今年は、あの阿鼻叫喚を楽しむことはできんのか。
漁師町の、独特のお祭りですき、ぜひ、一度体感してみてはいかがでしょう。くれぐれも、飛んでくる花火には気を付けてください。