上岡の地震碑、地盤、命山〔3983〕2014/03/12
2014年3月12日(水)晴れ
以前、高知大学の、あの地震研究で有名な岡村先生の研究室にお邪魔した際、恐ろしい話を聞きました。東日本大震災と、来るべき南海地震との違い。それは、震源域と都市の距離の問題でもあるようです。つまり。
必ず襲うてくる南海トラフの大地震は、その揺れが、かなりの被害をもたらすであろう、ということ。地震なので当たり前みたいな話ですが、南海は、東北に比べて、まず、揺れによってかなりの被害が出るであろう、と申されておりました。
揺れによって倒壊したり逃げれんなったりしちゅうところへ、大津波。これが、来るべき南海地震の最悪シナリオ。
そして、地震と地盤の関係。
高知平野は、ご承知の通り、古代にはかなりの部分が海に沈んじょった低湿地帯。沖積平野。それはどういう事かと申しますと、地盤が軟弱である、ということ。沖積層の下の固い岩盤まで基礎を打ち込んじゅうならいざ知らず、そうでない場合は、非常に軟弱な地盤の上に家が建っちゅうケースが多い訳です。
地盤が弱い、ということは、建物が崩壊しやすい、というのはもちろんですが、「揺れが激しい」という事実も忘れたらいかんと思うがです。ただでさえ激しい揺れが予想される南海地震で、地盤が緩い場所に建つ家は、まず、最初の揺れで大きな被害を被ることが予想できる訳です。津波から逃げるのはそれから。
揺れによる被害の中で、避難場所へと逃げていく必要がある、ということをイメージしちょかんと痛い目に遭う気がします。道は、倒壊した建物などが邪魔になって通れんなっちゅうかも知れません。
あと、昨日もご紹介した宇佐の真覚寺日記などにも出てきますが、落石や土砂崩壊も、実は危険なようです。後世への戒めとして、地震が発生したら、石とかが落ちて来ない安全な山に避難せよ、と書かれちょります。つまり、安政地震の際も、山へ逃げるのに、落石とかがかなり危険であったことが伺えます。南海地震は揺れが激しい。津波だけの対策ではなく、激しい揺れによる家屋倒壊や家具の倒壊、土砂崩壊や落石などにも注意しちょかんといかん、という話です。岡村先生が言いよりましたので、間違いない。
ここは今朝の野市、上岡八幡宮さん。
参道入り口脇に建つ、安政地震の碑。地震から26年経過した明治13年に建てられた碑。以前にもご紹介しましたが、今一度碑文を。
「嘉永七年寅十一月五日大地震、地所によりしづみ、浦々人家流失、人いたみ夥敷、上丘西川原まで浪来る事を記」
地元の嶋内武金さんという方が、後世への教えとして建立された地震碑です。津波は、この西の河原まで遡ってきた、という内容。
ここから北側は、野市の台地。洪積台地なので、地盤はかなり固い。津波が台地の上まで襲うてきたら、野市も大変ですが、最悪想定でもたぶん野市の街までは大丈夫。山田も、長岡台地という地盤の固い洪積台地の上にある街で、しかも津波の心配はない。
上岡八幡宮さんには、先年、避難路ができました。嘗ての南海地震でも、この上岡山に登って避難した方は多かったでしょう。八幡様が鎮座まします上岡山は、これからも近在の「命山」として、地域を守ってくれる鎮守の山。