工石山にもあった戦争〔3979〕2014/03/08
2014年3月8日(土)快晴!
良いお天気の土曜日。朝の気温も結構下がって、青空が広がります。こりゃあ山へ行きたい。
しかし、今日はお昼から会議がありまして、午前中の早い時間に帰って来んといかん。と、いう訳で、お手軽に、高知市の北側に聳える工石山(くいしやま)を走ってくることにしました。
標高1176.4mの工石山は、県民の森とかなんとかに指定され、登山道がこじゃんと整備されちゅうので、走るにはボッチリの山。
朝、6時半頃に家を出て、車で登山口。そっから、それこそ一気に頂上まで駆け上がってみました。気温は低めですが良いお天気。所々に雪が残る登山道。谷間は雪渓のようになって、ガチガチに凍った雪がツルツル滑るので、気をつけんといけません。普通の運動靴ですきんね。まるで、スケートリンクの上を運動靴で歩きゆうような箇所もあります。
工石山には、北の頂というのもあって、実はそっちの方の標高が高いがです。何十センチか。1177mということになっちょります。が、展望台が設置されちゅう方のピークがてっぺんということになっちゅうにかありません。一等三角点があるきでしょうか。
一等三角点というのは、地図を作成するのに決められたポイント。全国に1000ヶ所くらい設定され、設置間隔は約40km。二等三角点は5,000ヶ所、三等三角点は32,000ヶ所と言いますき、一等三角点はなかなか貴重。特別に高い山に設定されるという訳でもない、一等三角点。明治期、全国の正確な地図を作成するに当たり、三角点を決めて測量していく人々が居ました。参謀本部陸地測量部とか。で、富士山や、アルプスの険しく高い山々にもどんどんと三角点を設定していくのは、すざまじい作業でした。
中でも、前人未到と言われた剱岳に挑む測量部の人々のすさまじい努力は、新田次郎さんの「剱岳」は、あまりにも有名ですな。
小生はなんちゃって登山愛好家ですが、一人で山をたつくるのは大好きながです。
今日は、頂上から賽の河原に下り、そして妙体岩へ。
以前にもご紹介しましたが、妙体岩という、山の中腹に聳り立つ巨岩は、太平洋からもよく見えます。ランドマーク。山内氏が土佐入国の際、妙体岩が目印となって、間違わずに入港できたので、藩政期を通じて山内氏に手厚く祀られたという妙体岩。
その妙体岩の石段の下から、少しだけ賽の河原方面に寄ったところに、人口構築物があります。以前から、前を通るたんびに気になっちょりました。この写真。
どうやらこれ、戦争遺跡にかあらんがです。工石山ですき、まさか、戦争遺跡とは思うちょりませんでした。しかし、高知の戦争遺跡に詳しいFさんに、工石山頂上界隈にトーチカの痕跡がある、と教えてもろうて、工石山にも戦争遺跡があることを知りました。
残念ながら、何度てっぺんをたつくっても、トーチカは、よう見つけません。しかし、この石組みは、どうやら戦争末期につくられたもの。
このしゅっと近くの妙体岩が太平洋からも見えるように、この前の樹々の向こうに、高知平野、浦戸湾、そして太平洋が見えます。そう。米軍の攻撃がよく見えるスポットということで、軍事施設ができたがでしょう。
石で組まれた。そう、70cくらいの高さでしょうか、直径3mくらいの円形の遺構。南側、小生が見ゆう部分が山道に向こうて70cmくらい開いちょります。山中に突然現れる人口構築物。
で、ネットで調べてみましたら、その、小生に戦争遺跡かれこれをご教示下さったFさんのブログに、ありました。たぶんここのこと。
Fさんのご意見では、「聴音壕」ではないか、とのこと。聴音壕とは、飛来する米軍の飛行機の爆音を聴き、その方角などを下に知らせるもの。なるほど。
こっからですと、太平洋まで見晴らせるので、音もよく聞こえたのでしょうか。
また、「銃座壕」かも知れん、と、書いちょりました。高知市内を空襲するB-29に対する銃座でしょうか。高射砲のものではないようです。
工石山をたつくるたんびに横を通り、気になっちょった構築物が、戦争遺跡であったとは。いったいどういう用途であったのか、専門家に鑑定してもらいたいですね。